松本ニュース Vol.3.1
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松本ニュース Vol.3.1
目次
3.1 震災後の状況(96年9月はじめ)
3.1.1 全般
3.1.2 道路
3.1.3 電車
3.1.4 家
3.1.5 ガス電気水道
3.1.6 産業
3.1.7 思うところ
3.2 神戸製鋼に入社した時に同じ部署だった方が亡くなられて
3.3 同級生のお父さんが亡くなられて
3.3.1 本人がしたいこと、してほしいことに合わせた治療
3.3.2 告知したことに対する責任
3.3.3 本気で相対する
3.3.4 医者と話すこと、主張すること
3.4 友人が入院して
3.5 防災のこと
3.5.1 震災を受けて防災について考えること
3.5.2 僕はどうしているかというと
3.5.3 ボランティアについて
3.5.4 こうした方がいいと思うこと
3.5.4.1 大切なものをどうするのか
3.5.4.2 どうやって個人の防災力(造語)を高めてゆくのか
3.5.4.3 訓練は効果があるのか
3.5.4.4 国や組織としての防災力
3.5.4.5 基準を見直すと大きな成果は得られるのか
松本ニュース Vol.3.1 '96.9.17
がんばるぞ西宮
発行者 松本正人
BXB00613@niftyserve.or.jp
転載はお断りします
3.1 震災後の状況(96年9月はじめ)
3.1.1 全般
街の復旧・復興状況は国道などの表通りは進んでいる(重機がいたるところに置いてあり進行中)と感じられるものの、一歩街中にはいると一般の家の建築が進んでいないので空き地が多く、全体にはあまり進んでいないというように感じます。
3.1.2 道路
交通規制は全くなくなり誰でも車で移動できる状態になっています。
震災直後は、阪神間の主要4ルートがそれぞれ国道2号線=5時から24時まで一般車通行不可、43号線=5時から24時まで一般車通行不可、阪神高速神戸線は大阪市内から西宮間通行止め、西宮-神戸倒壊のため通行不能、阪神高速湾岸線も一部通行不能、一部分は一般車通行規制という状態でした。つまり大阪-神戸をまっすぐに走れる道はなかったのです。
現在では、国道2号線は復旧し自由に走れますし、最後まで規制されていた国道43号線は本来の4車線の内2車線だけですが供用されています。阪神高速は湾岸線が完全に復旧してますし、神戸線は武庫川-深江間(僕の会社の前)を残して開通しています。このことから思うとほとんど復旧したという感じがします。
阪神高速神戸線が芦屋と西宮(武庫川-深江間)を除き開通し43号線の規制が解除されたことにより、西宮や芦屋の43号線は混雑しています。朝夕はほとんど動かないような渋滞になっています。この渋滞も9月30日に神戸線が全線開通すればなくなるので、あともう少しの辛抱です。去年、6月に阪急、阪神が相次いで開通したときには、やっと開通したという喜びがあったのですが、最近になって高速道路が部分的に開通していっても、あまり感動がないように思います。自分の中からも震災の記憶が薄れていっているのか、役所がのろのろと工事していると思っているからなのかわかりませんが、自分はもっと喜ぶと思っていたので、意外でした。
路地や県道などは震災の直接の影響と、震災に伴う道路の頻繁は掘り返し(水道、ガス工事)によりがたがたになっています。快適ではないのですが、僕には特に不便は感じていません。ただ身障者のひとや電動の椅子に乗っているお年寄りの方には不便をかけているのだろうと思います。
3.1.3 電車
電車は摩耶山に登るケーブルカーとロープウエイが震災まま放置されているのと山陽電車の塩屋駅がまだ仮設のままだと思う(確認していいません)以外は元に戻っています。阪神電車は去年の冬ぐらいまでは、傷んだ電柱を仮設の柱で補強して使ったりしていましたが、これも今では見られません。電車は完全に復旧したという風に感じます。
3.1.4 家
家については、マンションとアパートはバシバシ建っています。店や個人の家も建て替えられるところはほとんど建て替えられたように思います。しかし、再開発にあたってしまった(住んでいる人は歓迎していないので「あたった」のではなく「あたってしまった」というのが正しい表現だと思います)地域は空き地のところどころに、震災で倒壊を逃れた家が残っているという状況で、倒壊家屋を撤去する事を復旧と呼ばなければ、ほとんど復旧・復興していない状態です。そういうところを自動車で走っていると土色の土地ばかりが目に入り、建物が建っているのはたかだか2割にも満たないように感じます。
小さな建て売り住宅も被災し、一部には建て替えを行われている方もいらっしゃいます。建て売り住宅の土地は比較的小さいので、その土地に建て直す場合、建坪率と隣地とのすきまという規制があるため、震災前と同じ面積の家を建てようと思った場合、3階建てを建てざるを得ないとのことです。業者が建て売り住宅として建てたときには隣との境界はもっと狭く長屋的ではあったにしろ、安定感のある家並みだったように思います。個人が建てた場合、規則をくぐり抜ける手段がなく、小さな土地に小さな建坪の3階建ての家をすき間をあけて建てざるを得ません。細い小さな3階建てがすき間をあけて並んでいるのは"まぬけ"だと思いませんか。規則を守ると同じ家を建てることができず、3階建てになり、小さな日のあたる庭をあきらめ、家のまわりに使えない土地を確保することになるのです。さらにこの場合、3階建てにするため、従来の家より建築費用がかかり、(役人に貢献しているように思われる)建設業の人々に多くのお金を払わざるを得なくなるのです。
3.1.5 ガス電気水道
新聞などで報道された通り、去年の3月にはほぼ復旧したことになっています。しかし、応急処置をしたところが多いらしく、各所でもう一度掘り返して"復旧"工事を行っています。
3.1.6 産業
存続を考えていた会社は、震災を契機に廃業やその分野から手を引く会社が多くあったようです。僕が直接大きな影響を受けたことはないのですが、いろいろな分野で小さな会社・部門がなくなっていったようです。
四国の会社の方に、中古の産業機械屋(特に旋盤なとの機械加工の機械屋)には多くの中古機が神戸から入荷したということを聞きました。当然中古屋が引き取るのは使用可能な機械なので、機械がつぶれたからではなく、仕事をやめるから不要になったのだと思います。
中堅の会社がサイドビジネスで熱処理業を行っていたのですが、建屋がこわれたのを機会に(機械は壊れていない)仕事をやめたそうです。
近くのケーキ工場は、震災後行方不明になっているとのことです。
3.1.7 思うところ
今の状態は仕事をしたり、買い物に行ったり、遊びに行ったりという家から外に出ていく事に関しては、復旧・復興がすすんでいると思います。また、仮設に住んでいる人が多い(あれだけ更地があるのだから当然だと思うのですが)ことからわかるように、日々の生活が元に戻っていない人が多く残っているように思います。一部のひと(仮設に住んでいる人に代表される、家が倒壊した人の一部or大部分など)を除くと家の中も元に戻っていると思いますが、その一部の人の場合には全く復旧・復興していず、被害の受け方により復旧・復興の差が大きく開いた状態なのだと思います。
建物や道路をなおすお金のかかる復旧は、お金の有無がはっきり出て、役所や、大企業がお金をだすものについては終わろうとしているのに、個人のものはあまり手をつけられていません。金持ちの日本人と海外でよく言われますが、やはり日本人は金持ちではないと思います。日本の国と、大企業が金持ちなだけで、さらに彼らだけが金持ちになれるシステムもあるように思います。震災で壊れた家を立て直す場合、法律が安全を保障してくれるかのような規制の元で、認定業者が認定製品を使って家を建てるのですが、当然いろいろな規制をくぐった"選りすぐりのもの"と"選りすぐりの業者"で建てるので高くなります。しかし、そのことでどれだけ安全になったのか疑問です。認定業者や認定製品を認可するシステムが企業と役人を太らせているのですが、それを個人では回避できないシステムになっているのです。
阪神大震災という大きな災害がおきると、市よりは県、県よりは国、個人よりは企業、中小企業よりは大企業というように大きなものが幅をきかせて、いいところを吸収するというような気がします。こねがあれば国道の通行許可証は乗用車にも発行していた例のように、役所が権限を拡げるので、裏から圧力をかけることができる人・団体が優遇され、その代価をあとで役人が受取っているように思います。また、一部に大きな需要が発生するので(たとえば今のマンションの建設ラッシュ)そのおいしいところを大手が取っているように思います。日本の合法的に一部の人が利益を享受する不平等なシステムが大きく現れてきたように思います。
3.2 神戸製鋼に入社した時に同じ部署だった方が亡くなられて
8月29日柚鳥登明さんのお葬式に参列させていただきました。
僕が神戸製鋼入社時に配属された鉄鋼材料の研究所で同じ部署にいらした方で、僕が次に配属された製鉄所の開発部門では柚鳥登明さんのお兄さんである柚鳥善之さんと同じ部署で仕事をしました。
柚鳥登明さんは世界最強の鉄鋼材料を発見された方で、サイファーという商品名で極細線として商品化され、企業の材料研究者としては、いい道を歩まれた方だと僕は思っています。当時、僕が所属していた鉄鋼材料研究室では、柚鳥登明さんのまわりで、特許に、新聞発表に、大学への検証の依頼と多くのひとが走り回り、活気(研究室に活気が必要なのかどうかは疑問ですが)があり、新しいことを発見し一発花開かせて目立ちたい(有名になりたい)と思っていた僕にとっては、うらやましく思いました。僕もいつかは同じようなことができれば、思っていました。
当時柚鳥登明さんは、
自分(担当者)が正しいと思ったこと(技術的な考え方、研究テーマなど?)があったら、(他の人が信用していなくても)それをうまく続けないといけない。続けていたら、いつしか、いい成果が手に入る。
ということを、おっしゃっていました。ぼくも、そんな考え方を見出さないとという気になれど、特にこれといったものが得られないまま、研究所から製鉄所へと異動しました。
柚鳥登明さんが言っていた、自分(だけ)が正しいと思っていることを企業の中でうまく続けることは難しいのが現実です。幸いなことに(ダメなのですが)僕は研究所では、他の人に否定されても(うまく続けないといけないほどの大きなことを、見出せなかったのでそんな苦労はありませんでした。管理が厳しい(細かい)製鉄所では何かにつけ了解を得ないと物事ができない姿勢になっていたので、僕がやっていたことは、柚鳥さんが言っていたことよりはるかに小さいことですが、自分(担当者)が正しいと思ったことを、どれだけうまく実施するのかということを細々としていたと思います。
お葬式の最後に柚鳥善之さんが挨拶をし、その中で、柚鳥登明さんが亡くなる約1ヶ月前(入院中)に
「おれはこんな病気ぐらいで死ぬわけにはいかないんだ」
とおっしゃっていたということを紹介されていました。僕が同じ状況になっても同じことを言ったように思います。
3.3 同級生のお父さんが亡くなられて
8月の初めに高校の同級生のお父さんが亡くなられたということを聞き、葬儀は済まされたとのことだったので、先日お参りさせていただき、いろいろな話を聞かせていただきました。
僕は、3年ぐらい前に、病院で死ぬことという題名の本を読んだことがあります。内容は、末期のガン患者に対して、延命治療をするのではなく、本人(患者)の意志に基づき、治療方法を選ぶことが、本人(患者)をひとりの人間として考えた場合、最も大切なことだということを実践している方の記録です。ぼく自身はガンになった場合告知してほしいし、僕自身の意志を入れて、どういう治療を選択するのかを決めてほしい(ガンだけでなく全てのけが、病気に対して同じ考え方ですが)と思っています。そう考える僕にとっては、この本に書いてあることは理にかなったことで、非常にすばらしいことだと思えるのですが、実際にこのように考えて、勇気ある判断(告知するかしないか、延命治療か痛みを取り除くだけかなど)をする人(した人)がどれだけいるのだろうか、自分は本当に正しい判断ができるのだろうかということを考えさせられました。
友人の家族の方のお話を聞き、身近な方々が様々なことを考え、行動されたことを聞き、自分の場合どうするだろうかということを考える、機会を与えていただいたように思います。
3.3.1 本人がしたいこと、してほしいことに合わせた治療
その方は約半年入院されていたということなのですが、その中で自宅に帰ったり、海釣りに出かけたりと、自分の意志で一所懸命自分なりの生き方をされ、それをまわりのひとが支えていたように聞こえました。家に帰り、大工仕事をしたり、自転車で買い物に行こうとしたりし、入院中3回もつりに行き、亡くなる3日前のつりでは40cmのイシダイとマダイを釣り、友達を呼んでみんなにふるまい、生きることを楽しまれたように思いました。つりに行くスケジュールは本人が決めたそうで、それに合わせて治療をし(したかどうかはわかりませんが)、準備をしたように思え、単に延命のため多くの薬や機器を使用する治療と比較して、人間らしい治療だと思えました。そういう判断ができる、周囲の人々に敬意を表します。
3.3.2 告知したことに対する責任
家族の方は友達のおとうさんにガンを告知されたのですが、告知するということは、「そのお父さんがこれから短い期間で家族からひとりだけはなれることになるのだ」ということを本人に向かって話すことだと考えたとのことです。当然、寂しく感じるので、お父さんが寂しい思いだけはしないようにすることが、家族の勤めだと考え、そのことに気をつけたとのことでした。
僕は、告知されることについては、自分の人生だから自分で決める、このために告知は必要だと思っていたのですが、人に告知するということは、そんなに簡単に割り切れることではないことに気づいていませんでした。状況にもよると思うのですが、告知するという判断は、自主的に"する"という判断をしたため、"する"事に対する目に見えた責任が現れ、しないということは、"する"という判断をしないため、しなかったことに対する責任が明らかには見えにくく、一部の場合だとは思いますが"にげ"の姿勢のように思われます。告知する、しないの判断はまわりの人がするのですから、責任の重さは同じはずなのですが、告知する場合の方が、責任が明らかになり、当然いろいろな話を本人とできる分、悔いの残らない結果になりやすいように思えました。
3.3.3 本気で相対する
お父さんに本気で腹を立て、けんかをしたこともあったと、友達のおかあさんがおっしゃっていて、いいなと思いました。ぼくは入院した経験がないため、お見舞いにいったときにどのように、接すればよくわかっていませんでした(いつも通りあまり気遣いをしていなかったと思いますが)。友達が入院しそのときのことを話してくれた中で(後述)、いつものように接することが一番快適だと聞き、普通に接すれば腹も立つし、けんかもするなと思い、うれしくなりました。
3.3.4 医者と話すこと、主張すること
本人(患者)の意志で、いろいろなことをしながら生きた、本で読んだような素晴らしい治療・看病のしかただと思うと、ぼくが友達のお母さんに話すと、いい医者にめぐり会えたのだと思うとおっしゃってました。そして、大切なことは医者と話し合うことだとおっしゃてました。当然のことですが、本人の考え方、感じ方については、医者より家族の方がよく知っているので、好き嫌い、感受性などメンタルな部分をきちんと伝えてこそ医師はいい判断ができるし、思い切った判断もできるのだと思います。そうしてこそ、本人にとって快適であり、効果的な治療になるのだと思います。
3.4 友人が入院して
友人が入院しました。手術の直前に知ったのであわただしいところにおしかけない方がいいと思い(言い訳です)手紙だけを出しました。進行した胃潰瘍の手術だと聞いていたので、手紙にはせっかく治るための治療をするのだったら僕だから、自分から直るんだ、直って今までのように生きることを楽しむんだという気持ちで立ち向かいたいということを書いたと思います。
退院後に、友人から手紙が来て、その中にぼくがずっとどうしたらいいのだろうと思っていた、見舞いに行ったときに、病気(けが)の人にどんな姿勢で臨むべきかということに対する当事者の意見があり、なるほどと思ったので紹介します。
僕はこれまで入院したことがないので、入院して、見舞いに来てもらうときの気持ちというのがよくわかていませんでした。「たいへんだね」「がんばれ」とだけ言っているのはいやなので、基本的には普通に話していたつもりですが、病院の外で話す時より優しく話していたように思います。
友人の手紙には
自分(患者)が気の毒な人として扱われるのはおもしろくないので、対等に接してほしいということ。
あまりに自分(患者)の身になりすぎるひとには、安心してもらうため元気なふりをしてへとへとになってしまうこと。
患者と見舞いに来た人の関係は、患者を気を使って近づかないのではなく、勇気を持って一歩踏み込んで理解し合うことが大切だということ。
というようなことが書いてありました。
その後に話したときには、
...(前略)...ようは自分のまんまで。病人扱いは病人だから当然だけど、あまり「自分たちとは違う気の毒な人」という枠に入れて見て欲しくはなかったと思います。
と言っていました。
僕も見舞いに行くときには優しくなっていたので、少し、入院している人をなだめてやろうなどという高慢な気持ちがあったように思います。よくわからないのにただ優しくなるだけというのは必要はないですよね。その人と話すのがたまたま病院の中なんだ、その人が病気に興味を持っている(入院しているのだから当然ですが)ので病気に関する話もするということではないでしょうか。でもその病気を良く知っている人(患者)と病気の話をするのですから、「こうしたほうがいいよ」なんて指導する(こういう人が多いように思います)ことなんかできず、「自分だったらこう考えてこうする」とか、「この本ではこんなことを言っている」という議論(?)をして勉強させられる方が自然だと思います。
3.5 防災のこと
防災の日が近づき、ニュースでも防災がたびたび取り上げられていますが....
友人から防災について考えを持っていないといけないのではと言われ、僕の少ない経験の中から防災について考えてみました。
3.5.1 震災を受けて防災について考えること
震災を機会に多くの人が防災に対する考え方が変わった(というより、考えるようになった)ようですが、ぼく自身も以前よりはいろいろ考えるようになりました。防災について考えていることを聞くと、多くの人は地震に対してだけどうするのかを考えているようですが、台風(水害、風害)、火災や泥棒、車が飛び込むこと、家から出たときの車との接触に対しては特に考えていないように思えます。日本人的な"はやり"に敏感というか、熱しやすく醒めやすいというか、短期的な視野しか持っていないというかそういう部分が一番の問題だと思います。
僕は総合的な安全が大切だと思います。たしかにこちらを立てればこちらがたたずということがあるので、それぞれについて比べると、安全に対するグレードは低いものの、1つだけ自慢できるところがある状態ではしかたないと思います。
地震に強い街づくり→災害に強い街づくりという風に一部は変わってきていますが、ほとんどは「地震対策をした」ということが「災害に強い街づくり」ということになっていないでしょうか?
たとえば、
地震のあと建った家はほとんど屋根に瓦を乗せない、軽く地震に強い家なのですが、台風で強い風が吹くと屋根が飛びやすいタイプの家でもあるのです。西宮は台風の多い地域ではありませんが、それでも家の寿命の間(40〜50年)には大きな台風が1回は来ると思います。そんなことは全く頭にないような気がします。
建築屋の広告やパンフレットを見ても地震に強い構造にする工夫が各所に示してあるのですが、水害(構造上はどうしようもないかな)や風害に対する工夫は皆無のように思います。
マンションなどでは、地震で建物が歪んでも窓から出られるように廊下側の窓の防犯格子が簡単に外れる構造になっていますと書いてあるのですが、こんな防犯格子であれば、なくてもいいのではと思います。
高架の鉄道や道路などは補強し、阪神大震災と同等の地震にも耐えうるように強化したすなわち安全を考える上で想定する地震の強さの基準を厳しくしたということですが、火災に対する基準や、水害に対する基準、テロに対する基準(こんなものあるのかどうか知りませんが...)なんかは見直しすらされたいないと思います。
反対に、震災後の状況の項で話題に出た、隣との隙間をあけた小さな3階建て住宅は、隣と隙間があるので、火災の対策にはなっていても、地震には弱そうです。
3.5.2 僕はどうしているかというと
僕は学生時代、そのときに宮城県沖地震で被災した部屋のあと(ガラスがない本箱や、大きな傷がついた机、梁が抜けそうになった話など)から恐いなと思い、いくつかのことはいまも実行しています。
1つは今までずっと行ってきたのですが、棚(本棚、食器棚、たんす)が倒れてくるところに寝ない(こうすると部屋の片側に高い家具が集まり狭く感じるようになるという欠点はあります)。
2つめは今はしていませんが、棚やタンスにチェーンを付けて壁に固定する(仙台で買った家具には金具が付いていたので実行してましたが、兵庫県に帰ってきてからは自分で買ってまではつけていません)。
3つめは寝ている時に地震があったらとりあえず起き、布団の中から状況を確認してものが倒れたり落ちたりしそうになかったら気にせず寝る(あまり神経質になると他のことができないと僕は思います)。
地震に合い非常袋を作ったり、マニュアルを作ったりしている人から見ると効果が小さそうですが、簡単な分、継続的にできるという点では優れていると思います。
水害に対しては、来ないと信じ何もしていません。何かひとつといえば、シュノーケルと水中眼鏡を持っているのと、Kayakを漕ぐ練習をしています(役には立たないと思いますが...)。
火事に対しては、火に対しては消火を確認する癖を付けている以外は特になにもありません。会社の大切な書類はcopyを別の場所に保管するということをしています。電気に対してはある程度のたこ足配線であれば気にならないので、防災に対する認識が低いと思いますが、解決策がないのでそのままのなっています。消化器を使ったことが2回あるので、消化器の使い方は知っています。
風害についても特に考えたことはありませんが、風が強い日は窓をきちんと閉めるぐらいしかしていません。
被災したときの、水や食べ物の確保については、今は何も考えていません。(井戸水が涌いているところはいくつか知っていますが、どうせ電気で汲み上げているので絶対的なものではないと思います)場当たり的な行動が得意でかつあつかましい僕としては、何かが起きても、その場でうまくすればいいと思うぐらいで特に準備はいらないのではと思います。ただ、何かが起きたときに、座り込んでしまったり、あたふたしたり、文句を言っているだけではなく「行動すること」これだけで十分に備えになると思います。みんなを敵にまわした状況でなければ、心がけだけで十分だと思います。その土地にこだわることがなければ、物資が十分にある場所に移るまで、食いつなげれば十分だと思います。
3.5.3 ボランティアについて
僕が倒壊した家を解体しながら必要なものを取り出している時に、知らない人が突然手伝ってくれました。彼らは特に何も言わずに手伝い始めたので誰かの知り合いかな?と理解していました。当時は僕(正人)の友達、弟正和、正貴の友達、親戚の方、取引先の方、父の友人の方いろいろな人が作業を手伝ってくださっていたので、それぞれに、他の人の友達だと思っていました。彼らは家の解体を2時間位手伝ってくれました。彼らが去った後残った人に彼らのことを聞いたのですが、誰も知らず、その時点ではじめて、ボランティアの人に違いないということになりました。彼らは、"市"という組織に属さずに自分たちでボランティアをしていたのだと思い、彼らの姿勢をすばらしいと思うと共に、方法についてはもう少し考えた方がいいのでは(名乗ってから手伝っていただければ、当方ももっと親しくなれたし、いろいろな話もできたと思います)と思いました。もう一つ思ったことは、僕にはボランティアというイメージが自分の中に薄いということでした。彼らを見たとき、彼らはボランティアでは?とは全く考えませんでした。これは、自分が"する"立場になった場合に、ボランティアができる(すべき)環境に遭遇しても、すべきことに気づかずに「する事がない」とぶらぶらしてしまっていたことを示しているようで、勉強せねばとそのときには思いました。しかしこの経験で、どれだけ変わったことやら....
細かい部分(上記のこと)は横においても、彼らのやり方(役所とは関係なくボランティアする)はすばらしいと思います。
3.5.4
災害が起きたときにどうしたらいいのか。その時のために何を用意すればいいのか。阪神大震災直後には数多く議論されたと思います。僕は感性が大切だと思います。ものを準備するよりも、災害時の対応マニュアルなるルールを決めるよりも、現状を把握できる感性とうまくすり抜ける判断力だと思います。そんなことについて長々と書きます。
3.5.4.1 大切なものをどうするのか
緊急時の持ち出し袋なるものを作ると、いざというときにその場所を忘れていなければ成果があると思います。ただ、大切なものを1ヶ所にまとめるのは、盗難の被害を考えるとあまりお勧めだとは思いません。多くの書類は再発行がききますので、被災時に当座必要な書類(おそらく普通預金の通帳?)ぐらいをもって持ち出せるようにしておけば十分では? 火事になったら燃えてなくなりますが、たかだか書類です。時間をかければまた手に入ります。地震であれば、入れた場所を覚えておけば出てきますし.... 書類は自分の手元にないことより、他人に渡ることの方が危ないと思います。
3.5.4.2 どうやって個人の防災力(造語)を高めてゆくのか
机の上でいくら考えていてもだめ、人の講話を聞いてもダメ、ルールをつくってもらっても、それを単に守っていてもダメだと思います。
自分で見て(聞いて)、判断して、行動するという力をつけないといけないと思います。
行動することはそんなに難しいことではないと思います(テクニックの問題です)。見て判断するということが大切で難しいことだと思います。
一番簡単な方法は経験することです。本人が直接経験できない(普通は経験できません)のなら、野次馬かもしれませんが、人が被災しているのを見に行くことです。当然じゃまはしてはいけません。単に見てかわいそうだとか、こうならないように気をつけようでは成長しません。見ている事実を自分に当てはめ、自分の場合どうしたら同じ目に遭わないのか、遭ったときはどうすべきかをその場で判断する訓練が大切だと思います。あとから会議を開いてみんなで細かく分析してみんなで正しい答えを出していたのでは訓練としての価値が小さいと思います。よく考えて正しい答えをだすのではなく、早く的確な答えを出して、行動することが大切だと思います。
僕は、地震のあと多くの友人に「西宮・神戸に来てじゃまにならないように見て、だまって帰ってほしい」ということを伝えました。その人が見ることにより、マニュアル的な安全ではなく、自分のまわりにも同種の危険があるのではないかと気付いたり、自分が被災したときにはこうしようと考える、自分なりの考え方ができるように思えたからです。一般的なことより、自分の環境に則した安全を考えないと、うまくいかないのではないでしょうか。
3.5.4.3 訓練は効果があるのか
防災避難訓練をすれば対応が速くなるのか? そういう方は一度防災避難訓練というのに参加してみるとわかると思います。訓練は訓練でしかなく、さらに多くの人ですると形式的なものになってしまうように思います。会社でする避難訓練はきちっと計画通りにすすみますし、9/1の総合防災訓練と1月の出初め式のの差はほとんどないように感じます。 暇なときに、あるいは、おやっと思ったときに、ここからどうやって逃げたらいいのかな?と考える"訓練"をするのが大切だと思います。たとえば車に乗っているとき鍵をかけますか? ぼくは特にややこしい(飲屋街とか)を走るとき以外は鍵をかけません。車がぶつかったときに閉じこめられたくないからです。
応急手当の方法は知らないですね。これは早いうちに勉強しないといけないように思います。ぼくは人工呼吸の方法も本で読んだだけだし、止血法も詳しくは知りません。僕は、骨折した人に副木をあてることもできませんし、発熱している人や下痢をしている人にどう対処したらいいのかは知りません。一回本気で勉強しないとダメですね。僕が唯一知っているのは、交通事故で頭を打っている可能性のある人を動かさずに専門家を呼ぶことということなのですが、前の地震のようなときには役に立たない知識です。この前家の近くにある鳴尾消防署の前に、応急手当の講習会を受け付けていますという看板が立っていました。これは本番を場当たり的にこなすことはできないように思うので、一度講習会に参加してみたいと思います。
煮炊きとかのサバイバルの知識はキャンプに行けば知ることだと思いますし、好き嫌いを言わなければ食べるものはあると思います。ただし、ガスのバーナーを持ってお湯を沸かし、着火材でパックになっている炭に火をつけ、焼き肉セットをスーパーで買ってバーベキューをするというのではダメだと思いますが、火を起こして薪でご飯でも炊ければ、十分生きていけると思いますし、長期化すればそのうちうまくなってきます。
土地勘というのも大切だと思います。私は方向音痴で....といっている人がいますが、訓練をしないと、一人で何もできない(ご飯ももらいにいけない)人になってしまいます。
3.5.4.4 国や組織としての防災力
日本国や日本の大企業(他国の大企業に関しては知りません)の安全という考え方は、組織が個々の危険を誰が見ても判るように対策をたて、それに従うことにより個人が安全になるという考え方だと思います。
何か問題が起きれば、組織(国・企業)が個々の問題に対して場当たり的で形に残る対策、すなわち様々な設備や、施設、ルールを作り、あたかも安全になったかのような状態にします(次の問題が起きるまでは完全な対策になりますし、起きた不良部分をやっつけるだけなので簡単にできます)。その対策で問題が出たらその問題に対する新しい対策をうつというものです。個人は、組織(国、企業)が1見危険なところに全部対策を討っているので、それに従うだけで安全になれるように思っているのではないでしょうか。
その結果、新しい設備や、施設、ルールが新しい問題を呼び、さらに場当たり的に応じることにより、悪い相互作用で新しい問題がまた発生するということが起こっているように思います。
最近ダムの建設に対して興味を持っているのですが、洪水のためにダムを造り、ダムの中に砂がたまり危険になったので、新しくダムを造る。洪水が起こるからダムを造り、流速が遅くなり砂がたまり堤防に対する水位が高くなるため堤防を強化する。これらは、人間が、平衡状態を保っている自然にあまりにも関与しすぎて、危険な状態にし、それを当座しのぎするために新しい設備を作る、その設備が新しい危険を作り出しまたそれの対処をする。うまく行かなくなるとルール(法律)をつくって人を遠ざける。根本的な部分では改善せず、うわべだけの対応をしてきた国と、その政府を信じすぎ、政府まかせにしていた国民がつくりだした、うわべだけの状態が今の状態だと思います。
僕は、自然から国が守ってくれるとは思いません。特に国は何もしなくていいのではと思います。国に何かをしてもらうと、かたちだけの場当たり的なことを行うため、1つの問題は解決するものの、他に多くの影響を与えてしまうように思えます。そんな対策ならないほうがましかもしれません。
また、小さな組織は短期的なことは得意です。国という大きな組織はもっと長期的なことをしないといけないのではないでしょうか。短期的な効果を求めるのではなく長期的な長期を見据えると、自然を潰すことは、人類を滅ぼすことだと思います。国のするべきことは自然を守ることではないでしょうか? 洪水が一回起きたらダムを造り土砂がたまるまでの短期間だけ増水をごまかすのではなく、水を保つことができなくなった山を、もう一度水を蓄えることができるようにもどすことが大切だと思います。こんな長期的な視野で日本を見ることができる政府ができれば、日本の将来は明るいのではないでしょうか。
3.5.4.5 基準を見直すと大きな成果は得られるのか
僕の勝手な思いこみですが、その政治家の方は、「耐震基準を高く設定し、安全対策のための"物"をつくらないといけない」というようなことを書かれているのではないですか? (兵庫県は災害時の物流拠点をつくるため、これまでの住民との約束を反故にして、西宮の海を新たに埋め立てなければならないと言っているのもその一例だと思います)
自然に反して造ったものはいくら対策をたてても自然によって壊される可能性はなくならないと思います。建築基準を震度7(阪神大震災)に設定しても、震度8の地震が次に来たら壊れるはずです。 強化して壊れにくくするという発想をやめ、自然体で安全にいる方法。高いビルの耐震構造を考えるよりも、高いビルを建てなくてもいい都市計画(国家計画)をたてる方こそが国として大切なことだと思います。どんどん大きなものをつくり、構造を複雑にしていくと、いつしかニューヨークの橋のように、その構造物を維持する(メンテナンスの)費用がなくなり、いつ壊れるかわからない、あるいは壊れそうなので使えないという状況になってしまうと思います。
人に対しても、どんどんいろんな保護や援助を増やしてゆくといつか破綻すると思います(企業年金は1例だと思います)。援助がなくても自分自身で生きてゆける状況をつくることこそ国の仕事だと思います。
こういうことをすると一つ問題があります。国民が国に対して直接的にありがたみを感じないため(見に見えるものができるわけでもなく、現金が配られるわけでもない)、政治家にとって選挙用の活動としては不向きな点です。役人にとっても自分の任期の中で成果をあげることが難しいので、評価されず昇進できないという点も問題です。短期的な視野しか持たない日本国民の指示を得るためには、政治家と呼ばれる人は、短期的に目に付く活動をする必要があるのだと思いますし、役人もすぐにわかる成果をあげないといけないという宿命をもっているのです。自分が活動を続けるため(その地位を保持、拡大してゆくため)に、「今しないといけないことと」、「長期的な視野で本当にしないといけないこと」(彼らが本気で日本の将来を考えているのかどうかは疑問ですが)のギャップがあまりに大きいことか、あるいは政治に携わる人にも長期的な視野がないことが、問題なのではないでしょうか?