松本ニュース Vol.1.2
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松本ニュース Vol.1.2
目次
1.1 震災後の経過
1.2 正人被災状況
1.3 会社をどうするのか。
1.4 4月は昇給の時期ですが
1.5 新聞発表に偽りあり(生命保険)
1.6 自分から進んで仕事を変るということ
1.7 がんばるぞ西宮!
1.8 父のしてきたこと
1.9 父親って何だろう?
1.10 お勧めの本
1.11 新聞社、テレビ局について1言
松本ニュース Vol.1.2 '95.6.28
がんばるぞ西宮
発行者 松本正人、正和、正貴
西宮市上田東町4-2-101
Tel. 0798-46-1965
このニュースは不定期に内容が追加されます。
95年1月17日の阪神大震災から2ヶ月が経過し、周囲は少し落ちついてきた様に感
じられてきました。我々も少しづつ落ち着いてきました。我々の状況を皆さんに
お知らせするためにニュースを発行することといたしました。時間の合間でつく
りますので、内容的にも、タイミングもいま一つの部分があるとおもいますが、
おおめにみてください。このニュースは適宜書足して発行します。
1.1 震災後の経過
1.17 5:46am 地震発生
1.17 大社中学校へ避難
1.17 5:00pm 正人西宮に到着
1.17 7:00pm 正和甲子園の祖母宅に到着
1.17 7:00pm 憲二の検死
1.18 正和、正貴、分銅町の家から貴重品を掘り出し始める。
以後、2月初めまで、ほぼ毎日解体を続けた。
1.18 3:00pm 大隈病院に明子の検査を依頼(状態が良くなけれれば入院することも依頼)
1.18 4:00pm 大隈病院にて明子の背骨(第一腰椎)、左??骨にひびが入っていることが判明。
即入院が決まる
1.19 父、憲二の葬儀会場(円徳寺)、斎場(佃斎場)を予約する
親戚の方に手配していただきました。
1.19 10:00am 憲二を円徳寺に移す(検体検案書なしで遺体を移動する)
人が亡くなった場合、検体検案書(死亡を確認したという書類)がないと
移動させてはいけないのだそうです。
1.19 6:00pm 憲二の検体検案書が発行される
1.19 被災していない上田東町の団地(以下上田と呼ぶ)に荷物を収容することに決めたが、
鍵が見あたらないための窓を割り侵入する
1.20 5:00pm 住友銀行がメックテクニカに来社(代表者がなくなったことが銀行にばれる)
代表者が亡くなったことが銀行にばれたことにより、メックテクニカの銀行口座は
全て閉鎖されました。(取締役会で新しい代表者が選ばれ、登記所に登記されるまで)
人が亡くなったときにはまず、現金をおろしたほうがいいというのは、
相続の正式な書類が揃うまで、口座が閉鎖されるからです。
1.20 避難所を円徳寺に移した
1.21 11:00am メックテクニカ取締役会にて松本明子が代表者に選任される
1.22 憲二の法名が決まる「歴本院憲道清馨居士」
1.22 6:00pm 通夜
1.23 10:00am 葬儀、告別式
1.23 12:00am 佃斎場で火葬する
1.23 5:00pm 安骨、初7日を行う
1.24 避難先を、甲子園の祖母宅に移す
1.24 夕方 登記所への登記を待たずに、メックテクニカの当座預金が再開され、現金を引き出すことが
できるようになる。
1.25 メックテクニカの社員の方に給料を払う
1.25 月末の支払のための資金を銀行に借りに(手形の割引)行くが、代表者の登記が終わって
いないことを理由に、断られる。登記ができない理由が、登記所が閉鎖されている
ためで、メックテクニカの原因ではないので、交渉にはいる。
1.26 正人神戸製鋼へ出社。神戸製鋼を退職しメックテクニカを継ぎたいという意志を表明する
1.30 夕方 仕入先への支払のための借入を、銀行が了解する。
1.31 メックテクニカの1月末払い分の支払を完了
2.4 分銅町の片づけが一段落する
2.9 正人神戸製鋼に退職届けを提出する
2.12 憲二の塗りの位牌ができあがる
2.16 明子上半身を起こす許可が医師より出る
2.17 震災から1ヵ月。
2.19 満中陰法要
2.20 父が乗っていた車は2台とも家の下から引き出したものの、グロリアの方は
シャーシがV型に曲がり修理不能と判明し、廃車する
2.22 明子入院後初めて立つ
2.23 正貴、中野鉄工社長に退職しメックテクニカに移る意志を話し了解される
2.25 正貴中野鉄工を退職する
2.28 正人神戸製鋼を退職する
3.1 正人、正貴メックテクニカに入社する
3.1 正人風邪でダウン
3.2 明子足のギブスがとれる
3.4 上田東町に引っ越す。荷物の整理を始めるが、どの荷物も土(壁土)だらけで
家の中は土色になってしまった。
3.12 明子退院し、母方の祖母宅に移る
3.17 震災から2ヵ月。父の還暦。しかしだれも西宮にいなかった。
3.19 正人神鋼寮をから上田に引っ越す
3.21 明子上田東町に戻る
4.3 明子メックテクニカに出社する
4.25 会社として追悼式を行うことを決める
5.13 仏壇が家(上田)に運び込まれる
5.16 憲二の引っ越し(甲子園(祖母宅)の祖父の仏壇から上田の新しい仏壇へ)
6.2 追悼式
6.22 税理士鎌倉要人氏死去
6.30 メックテクニカ、ボーナスを支給する
1.2 正人被災状況
地震が起きたとき、加古川では鉄筋10階建ての寮の継ぎ目がこすれて傷んだ以外、倒壊した家等はなく少し大きめの地震だなとしか思っていませんでした。寮の集合アンテナが故障していたため、衛星放送をつけると三宮でビルが倒壊している映像が流されていたものの西宮に関する報道は無く、西宮は大したことはなかったのだと自分に言い聞かせていました。実家(分銅町)に電話をしても繋がらないのは全員で逃げていたのだろうと解釈し連絡を待っていました。
今回のように、大きな災害が起こり自分の身の周りにも被害が起こっている可能性があっても、人間は(ぼくだけかも知れませんが)自分だけは大丈夫、自分の周りだけは大丈夫と勝手なことを思うものだと実感しました。
西宮の実家には連絡がつかなかったので、寮でじっとしていてもしかたないと考え、製鉄所へ出勤しました。製鉄所の中でも、人が亡くなったという噂レベルの情報はきこえてくるものの、正しい情報がきちんと伝えられるのじは10時ぐらいだったと思います。製鉄所に昼前に連絡があり、父が亡くなったことを伯父(父の弟)から聞きました。自動車での移動は困難と考え、同僚から原付を借り、原付で実家に向かいました。
電話で父が亡くなったと聞いても、信じることができませんでした。現実を突きつけられるまでは父の死を信じることはできませんでした。実家がぺっちゃんこになっているのを見て、はじめて父が亡くなった可能性もあるなとは思ったものの、父に会うまでは父の死を信じることはできませんでした。
父が亡くなり、葬儀までの1週間は「なぜ我々を残したまま先に亡くなったんだ」と腹を立てながらも、父がいなくなった淋しさで涙を流していました。しかし、父の会社メックの代表者交代の手続、銀行口座の再開、支払の準備や、家からの家財の取り出しで日々行わなければならないことが増えるにつれ、父が亡くなった事を悲しまなく(悲しむ余裕がなく)なり、何と冷たい人間なのだろうと自分のことが思えました。
1.3 会社をどうするのか。
憲二が言っていたこと。「個人の会社(メックテクニカ)は、利益を上げることを目的として存在するのではなく、役員を含めた従業員およびその家族、さらには外注先の方々が幸せになるために存在する」このことは、非常に大切なことだと思うが、このことを社長である父が亡くなった状況で継続的に実行することは、困難きわまりないことだと思いました。できる限りのことをすることが、亡くなった父に対してできる最大限のことだとは考えましたが、自分の持っている知識でそれができるようには思えませんでした。
メックテクニカに転職するかどうかを悩んでいたとき、大崎さん(メックの機械加工の外注先の社長、青木にある)が「今回の震災で買ったばかりのNC加工機は壊れたけど、旋盤は残っているので仕事をまわして欲しい、(道がほとんど通れないので)バイクで材料を引き取り、製品を納品に来る。」、「(大崎さんの)まわりでは被災していない会社でも、神戸に仕事を出すといつ納品されるかわからないと言う噂から、今後の仕事が無い状態なんだ」と話されていました。その話を聞いて、メックテクニカに何ができるのかはわからないけど、自分のできることをしないとしないといけないんじゃないか、見ているだけでいいはずはないと思いメックテクニカに転職する決意をしました。大崎さんの何でもいいから今は前向きに進まないといけないんだという心意気にひかれたのでした。
1.4 4月は昇給の時期ですが
これまで春は給料がどれだけ増えるのだろうと楽しみに給料明細書を見る季節だったのですが、今年は逆になってしっまいました。従業員の方々の昇給を決めなければならなりません。去年と一緒にしておけば大丈夫だと初めは気楽に思っていましたが、去年たまたま昇給が多かった人、たまたま少なかった人もいるように思えます。昇給は多いほうがうれしいですし、会社も多く払ってあげたいと思うのですが、やみくもに増やすわけにもいいかず、約1週間悩み続けました。仕事の評価だけに難しい。今回の昇給従業員の方々が満足されていることを願います。
1.5 新聞発表に偽りあり(生命保険)
父の生命保険請求したとき、いくつかのことに気付きました。生命保険の内容はほぼ同じなのですが、手続きが全く異なりました。請求した4社について感じたことを書きつづります。
S友生命は遠い親戚が代理店をしていることもあり、先方から連絡がありました。死亡の確認似ついては新聞等に名前がのっていることを担当者が確認するだけのものでした。
N本生命は初め検体検案書の原紙(検死をした医師の印が押してあるもの、copyはだめ)、戸籍にのっている全員の印鑑証明の原紙が必要でした(通常の手続きです)。責任者の方に他社の対応を話し、検体検案書のみコピーでゆるしてもらいました(検体検案書はまず病院で書いていただく必要があるため、震災下では入手困難と申し出た)。
N本団体生命、M治生命は書類はすべて必要だが、全てコピーで可。書類を郵送して、手続きは済みました。
「大手の生命保険会社は新聞等での名前の確認だけで請求ができるように対応します」と新聞には掲載されていたそうですが、実行していたのは一部の会社だけだったようです。
当然助けてくれたなと思うのはS友生命です。あの状況の中で、書類は原紙でないと受け付けられないと言っていた、N本生命の姿勢には、保険加入者を助けるための保険なのかどうか、疑問に思いました。
以上ぼくが自分のまわりでおこったことに基づく、思いこみを含んだ生命保険会社評価でした。
1.6 自分から進んで仕事を変るということ
これまでに勤めていた神戸製鋼では2回異動があり、だんだん自分がしたい仕事から遠ざかっているような気がしていました。しかし、他人の指示で代わらされたんだという気持ちがありあまり、異動当日も何とも思わなかったようにおもいます。
今回は、自分から申し出た異動(退職)であり、自分にとってこの選択が本当に良かったのかどうかという思いが巡り、半日は会社でボーっとしていたように思います。決めるまでにはよく考えたつもりだったのですが、現実を目の前にすると、感じ方がまったく違ったように思います。もう進み始めた道だし、あまり悩んでも仕方がないので、気持ちを新たに前に進んで行きたいと思います。
1.7 がんばるぞ西宮!
2月23日に震災後初めて元町・三宮を通った時、「がんばれ神戸コーヒー」なるきれいなのぼりをたくさん見ました。これを東京の人が作ったのであれば気持ちをうれしく思うのですが、どうも神戸のコーヒー関係の団体がつくっているようでした。その団体の方々は被災しなかったのかもしれませんが、あまりに他人事の
ようで、いい気がしません。
トアロードの洋服屋がSALEの看板の上に紙を貼り「がんばろう神戸」と書いていた店の人の気持ちに勇気づけられました。この看板を見て車の後ろに「がんばるぞ西宮!」と書きました。ちなみにダイエーの「がんばろうや神戸」も悪くないと思います。
この話を友達にしたところ、その友人が「1人称が大切なんだ」と言ったことも付け加えておきます。
1.8 父のしてきたこと
父の密葬を行った時に本当にたくさんの方が来られました。そのときの挨拶でも言ったのですが、憲二のファンの方々が集まって下さったように思います。あのいい年のおっちゃんになぜ多くのファンの方がいらっしゃるのか、息子の思い違いかもしれませんが、憲二の誠実さ、熱心さがファンの方々をつくったのではないかと思います。いいことばかり言ったり、いいかげんなことを言ったり、ひどい人になると嘘ばかりの話しかできないひとがいる(or多い)中あのまじめさは並のものではなかったとおもいます。彼のまわりには誠実な方が多かったように思います。憲二のまじめさ、誠実さ、まわりで支えていただいている方々の誠実さが多くの信頼できる人の輪をつくり、息子である私があこがれるような憲二自身をつくりあげてきたのだと思います。
私自身も憲二の熱烈なファンでした。ある大会社の部長の方に「目標とする人物は誰だ」と聞かれたとき「父です」と答え、夢が小さいとおしかりを受けたことがあります。その方にとって目標は名誉、実績などのはなばなしいものを考えられていたのだと思います。それも大切だと思います。いい人間であることがもっと大切なことのように思います。
1.9 父親って何だろう?
ある友達と父親って何だろうということを話したのでそのときの私の思った部分について以下に転記します。
(友達の問題提起)
「------前略------
そして私もここ1年で父と顔を合わせたのは正月と祖父の葬式の時だけです
親子って何でしょうね」
ぼくにとって父親は、なかなか勝てないライバルだったと思います。ここは受け入れられないと思うところもたくさんありましたが、さすが、と思うところがたくさんあるひとでした。これは、父親を一人の人間として見た見方だと思います。親と子という観点では、大学までは自分の生計を支えてくれている人、という部分が大きかったように思います。父親に関しては1個人として見ていた部分が大きかったので、あまり親子の部分が少なかったように思います。母親についてはうるさいと思っていた部分がかなりありました。ぼくは幸せにも、自分の周りに目標となる人がたくさんいます(単に目標が低いからかもしれませんが...)。たまたまその中に父親が入っていたため、いい関係を最期まで続けることができたと思います。
------中略------
「あなたがお父様のことを良くも悪くもきちんと見ていることは、いまのあなたから容易に類推できることだと思います。どんなに尊敬できる人でも(ぼくの父親もそうでしたが)、決っして完璧な(良いところばかりの)人ではないとおもいます。尊敬されている人の多くは、何か優れた点があり、かつ全体のバランスがよい人だと思います。ぼくたち普通の人がしないといけないのは、尊敬できる人から優れた部分をバランス良く吸収することだとおもいます。他人の悪い点を見つけても、たんにあの人は素晴しいといってても自分自信は成長しないのだと思います。あなたはお父様の優れた点を(本当に優れているかどうかはわかりませんが、ぼくは正しい方向だと思います。)吸収することができていること、これからも良いところを吸収していこうと思うことが大切だろうと思います。こんなことを書いていると、ぼく自信が他人をうけつけにくいので、成長のない人になってしまうと自分で証明しているようで、反省してしまいます。」
(友達が自分の気持ちを父親に伝えられないと話していたことにたいして)
今ぼくが仕事をしているところは1月17日午前1時ごろまで父が仕事をしていたところです。机のなかから、いろいろなものが出てきて、なかには結構恥ずかしいと思うものもあります。ぼくが何年か前に父の日に渡したカードがはいっています。(会社員になってからはほとんどの年の誕生日と父の日にカードにプレゼント
を添えて渡していました) その文面です。
父の日おめでとうございます
ちょっと遅れますが、(プレゼントは)ちゃんと届くと思います
いつまでも元気で”こんな人になりたいなァ”と
思わせるお父さんで(ぼくは父を「おとうさん」と呼んでいました)いてください
1990.6.17 正人
書きものは楽です(面と向かうといらないことを言ってしまいます)
カードは更に楽です(要点だけでOK、前振り等はいりません)
そして意思がきちんと通じます(上の例はあまり内容がありませんが......)
一度カードまたはプレゼント付のカードを渡すことをお勧めします
1.10 お勧めの本
震災に関する本が多数発行されています。本屋で表紙を見ただけで読みたくなくなる本も多く発行されているようですが、お勧めできる本も数多くあります。
写真集は各社とも、話題性の高いところを集めているのでかわりばえしません。
新聞は(新聞の縮刷版)は読むところが多く、地震の状況をかなり正確に伝えていると思います。特に神戸新聞はこの地震に対する姿勢が明確かつ正しいので一度読むことをお勧めします。
土木学会の震災調査は現在(95.7.9現在)2次報告まで出されており、地震に対する建物の安全性を考えるのには参考になると思います。
手記の様な本は多く発行され、それぞれに感じたことを書いてあり、共感できるものがあります。
○○マニュアルとか、緊急レポートとかいいう類のものはパラパラと立ち読みをするだけで内容はくわしくしっているわけではありませんが、あまり役に立たない上、被災者の感情をきずつけるもののように思います。
おすすめ図書リスト
「神戸新聞の縮刷版」神戸新聞社1800円
神戸新聞が新聞社としての使命を感じて発行し続けた新聞で、また被災地に存在していることが被災者の立場から被災者に向けて発行していたことがよくわかる新聞です。
他社の新聞はどちらかというと地震という事件を他の地域の人に向けて、書いていた部分が感じられます。
「私たちにとっての阪神大震災」エスエル出版会500円
西宮の出版社が被災者の視線で被災地以外の団体(国、地方自治体、各省庁、企業など)の今回の地震に対する対応を評価したもの。著者らが、この地震に対して感じたこと、等も他の本よりフィルターがかからずに書かれている様に思う。
「市民のための震災予防マニュアル(決定版)」機関紙出版680円
題名や表紙を見ていると手を出しにくいほんですが、内容は題名と違い、震災に関するデータにあまり手を加えずに簡単な解説を添えて本ににしたもの。理系の人向けの本かもしれません。
「1.17(平成7年阪神大震災体験記録文集)」兵庫県立芦屋南高等学校250円
題名のとおり、高校生の文集です。感じたこと、考えたこと、考えないといけないことがそのまま伝わってきます。他のもの(普通の出版社から出ている小学生のもの)とちがい、内容の選別、書き変え等を行っていない(僕が勝手に他のものはそういうことをしていると思っているだけでしが)ぶんダイレクトに伝わると思います。
そのほか震災関係の本を20冊ぐらい買いました。読みたい方には貸し出しますので、連絡してください。
1.11 新聞社、テレビ局について1言
いろいろな本などに、マスコミの姿勢に対する批判が掲載されてました。僕も、震災直後から読売新聞の1boxが規制された道路を大手をふって通っているのをよくみました。他社もしていることでしょうが僕には読売が気になりました。
この事件(震災)を全国、全世界に報道することは大切なことだと思います。新聞社、テレビ局の人々が今回していたことは少し違うと思いました。先にも書いたように報道することは大切なことです。しかし、もっと大切なことがあります。人を救出することであり、救出された人を含む被災者、被災地に必要なものを運ぶことです。被災地の外に報道することにより、被災地以外の方から効果的な援助がなされ、状況がよくなるという言い分も理解できます。しかし、彼等のしていたことは、報道によってのみ状況がよくなるかのごとく、自分たちが何かをすることによるマイナスを考えずに行動していたところにあると思います。こんなチャンス(事態と彼等は言うと思いますが)だから、できることは何でもするという姿勢だったと思います。この姿勢により、確かに報道によるプラスはあるものの、いくつものマイナスがあり、被災地外にいる人にはプラスにしかならなかったかもしれませんが、被災者には少しのプラスと、大きなマイナスを与えた様に思います。
僕だけが思っていることかもしれませんが、彼等が情報を集め社会に影響を与え、被災地/者にプラスをもたらしたとしてもあまりに時間がかかり、被災者が問題としている緊急性のある問題に対処できてなかった様に思えます。1週間ぐらいたち、細かい部分が問題となったときには確かに役立っていたと思います。地震直後にはじゃまをしていただけのように僕には思えてなりません。
新聞、テレビ関係の会社/人が批判されていますが、彼等が批判されるのは当然だと思います。彼等は彼等なりに使命感に燃えて(と書いてありますが、視聴率を上げるのが目的の様に僕には思えます)取材をしていた人もるとは思いますが、僕のが見た人はそのように見えませんでした。彼等の行動には謙虚なところが見られないことが、彼等の評価を悪くしているのだと思う。許可証をとらずに新聞社の旗をダッシュボードに置き規制道路を走りまわる新聞社の車や、画面に出ている時は辛そうな顔をしているのでしょうが、1boxのダッシュボードに足を上げて大声で笑いながら神戸に向かう車を見ると、彼等の使命感といいうのは、災害を伝えることではなく、視聴率を上げるという会社に対する使命感でしかないように思えます。また、西宮の合同慰霊式でインタビューしてきたひとも「どういうお気持ですか」とか我々の気持ちより、他の地域の人に伝えることだけを考えた取材の人々を見ていても彼等に助けられたという気にはなれなのが現状です。テレビも新聞も民間企業ですから、利益を上げないといけないのもわかります。これらは取材することではなく、伝えることで金銭を得ている(見る人が多くいることによりスポンサーから金銭を得ている)ので、こんなレベルのことしかできないのかもしれません。我々はこんなメディアの言うことを100%うのみにしないこと、単なる1企業なんだ特別ではないんだという認識をもちこれを公にしていくことしかできないと思います。
1.2.12 阪神大震災から学んだこと(1)
防災について今回の震災で家もさることながら、会社の防災体制を考えないといけないと痛感しました。今回の地震で私の会社(株式会社メックテクニカ、以降メックと呼ぶ)はまた事務所はぐちゃぐちゃになり、倉庫の棚は倒れ在庫のチューブが散乱していました。もし、今回と同じ地震がきてもメックはつぶれることはないと思います。また事務所はぐちゃぐちゃになり、倉庫の棚は倒れると思いますが、会社は存続すると思います。
防災は何を考えればいいのか。机を床に固定し、帰るときには引出しに鍵をかけるという規則をつくり、本棚を鋼製の引き戸に取り替え、在庫棚に転倒防止仕様にすることでしょうか?この対策は今回とまったく同じ条件の災害が起こったときに2度同じ過ちを繰り返さない点では優れ、書面上完璧な対策のようですがおおきな穴があいている対策のように思います。メックでは震度5の地震が起きても混乱しない在庫、震度7がきても倒れない(倒れなかった)社屋、火事がおきても客先のリストがなくならないこと(仕入れは少ないのである程度わかる)、運転資金だけはなくならないこと、ひとりの人が突然いなくなっても仕事が止まらないシステム、洪水が起きても在庫がダメにならない在庫方法ぐらいは考えないといけないと思っています。
芦屋南高校の文集の中にも地震に強い街づくりだけではなく、歩道の段差や階段の少ない思いやりのある街づくりを提案しているが、阪神高速の復旧方法などを聞いていると単に震度7の地震が起きてもだいじょうぶな復旧を考えているだけで、災害に強い高速道路を復興する、あるいは、物流システムとしてどう復興すべきなのかと言うところをよく考えていない様に思えます(湾岸線の車線を増やせば43号線の上には不必要では?)。いまから公の機関がしようとしていることは、地震前の姿に戻し、阪神大震災と同じ地震が起きても大丈夫なものを作り直しているにすぎないように思えます。