2003.12.3 大徳寺で庭に水を撒きながら思ったこと(40歳記念その17) 大徳寺で庭に水を撒きながら思ったこと フィリップニーゼルさんが来日30年を記念してお茶会を開かれ、その手伝いに行って来ました。僕が団体行動が不得意だということを知ってか、フィリップさんのお茶会では一人で担当する役割にあたることが多いのですが、今回も一人で庭を担当しました。 この庭には、小堀遠州守がつくり、その後火災で建物が焼失し松平不昧公が再建した後、現在まで残っている露地がありそこを案内する担当でした。 庭に水を撒き、蹲いの水を満たし、草履をならべ案内するというだけの担当で、今回のお茶会の中では最も簡単な役割だと思います。 しかし、いざ一人で蹲いに水を入れようとすると、どの程度入れるのがいいのか、どのタイミングで入れるのがいいのか、柄杓はどのように置くものなのか、わからないことだらけです。草履を並べようと思っても、どのように並べるのが一番スムーズに履けるのか、見栄えが良いのか考えさせられます。 一番困ったのは水撒きです。バケツと柄杓で水を撒くのですが、どのタイミングでどれくらい撒くと見栄えよく歩きやすいのか考えるのですが、最も困ったのは柄杓できれいに円を描いて水を撒くことができないのです。2日間撒き続ければ少しはうまくなりましたが、お茶をはじめて6年経っていてもこんな単純そうな役割すらまだまだできないのです。 お茶に限らず、本当にわかっている人は、自分に足りない部分が見えるのだと思います。何かができるようになり完璧だと思っている内はまだまだ本質の部分が見えていないのだと思います。 死ぬまで、いろんなことを謙虚に勉強しないといけないと頭ではわかっているつもりですが、なかなかそのように行動できません。 何か考えるときに、謙虚な姿勢に少しでもなることができれば、僕でも少しはましな人間に変わることができるだろうと自分で自分に期待をかけたいと思います。