2001.1.27 午後2:10 僕の祖母 中谷アイが亡くなりました。満89歳でした。 子供の頃からから大阪のおばあちゃんと呼んでいました。 大阪のおばあちゃんはここ2、3年痴呆の部分があり、心身とも完全という状態ではなかったのですが、特に大きな病気もせず元気でした。 今年(2001年)の正月2日に大阪のおばあちゃんは家の中で暗いところを歩いているときにこけ、大腿骨を骨折し入院しました。医者は手術をすると2、3日で車椅子で動くことができるぐらいにはなり、手術をしないと寝たきりになるとのことなので手術を受けることにしました。1月5日に手術を受けたのですが2、3日しても寝たきりの状態からは変わりませんでした。 大腿骨の切開手術なので輸血をしましたが、この輸血が合わなかったようでした。(どのような現象になったのか僕は見ていません) 血が止まりにくいようで口などを切っても長く出血が続いていました。 1月22日看護していた親戚から連絡があり、祖母が危篤とのことなので病院へ向かいました。大阪のおばあちゃんは集中治療室に移されていました。医者の説明によると「1、2日がやまば」とのことでしたが、しんどそうなものの特に危険な状態のようには感じられませんでした。酸素吸入のマスクがうっとおしいようで自分で外そうとしていました。しかしマスクが外れると脈拍が1.3倍、呼吸数が1.5倍になり酸素吸入が必要な状態のようでした。 やまばの1、2日から3日が過ぎた1月27日、昼過ぎまで看護していたおばさん(おばあちゃんから見たら娘)が看護を終え病院を出たすぐ後に亡くなりました。特にあぶない状況とは聞いていなかったのですが急に亡くなってしまいました。親族は誰も看取ることができませんでしたできませんでした。最後は呼吸が苦しいのか体をのけ反らせたりしたということを担当していた看護婦から聞きました。 通夜、葬儀は大阪のおばあちゃんの家の近くにある公民館で行ったので地元の方、おばあちゃんの友達に多くまいっていただき良い葬儀だったと思います。 火葬場で骨だけになった大阪のおばあちゃんの大腿骨には大きな幅3cm長さ20cmの金具1つと径1cm弱長さ10cmぐらいのねじが6本ついていました。元気になったらサッカーでもできるのではないかと思えるぐらいしっかりなものでした。 大阪のおばあちゃんが夜中にこけなければこのようなことが起きなかったように思えます。 手術をしても輸血がうまくゆけばこのような結果にならなかったように思えます。 サッカーができそうなぐらいまで完全に直そうとしなければもう少し長く生きられたかもしれません。 やまばの判断をもっと正確にできれば最期に立ち会えたかもしれません。 後から思うと違う選択肢がたくさん見えてきます。 しかし、現実は後から判断することはできないのです。 「日々自分が行っている判断が適切なのかもう一度振り返りなさい」と大阪のおばあちゃんに言われているように思いました。