2000.10.6 甑島へ I visited Koshiki-islands in Kagoshima to look around by bicycle. It is really local island. Most visitor comes there for fishing. Rapid ship that I planed to get to return is cancelled, because of rough wave. It is my first time to hold in the island. 2000.10.6 夜行で串木野へ 前日まで満席(床)だった夜行の寝台車がとれたので大阪から寝台にのりました。発車寸前に切符を買い、夕食はあとで何とかなるだろうと水とパンだけを買って乗り込んだのですが、車内販売はなく、そしてどの停車駅もすぐに発車するのでホームに降りないようにとの放送され、パン以外何も食べるものがない状態で寝ることになってしまいました。車掌に聞くと翌朝熊本で5分止まる以外は買い物をする余裕がないとのこと、車内販売は難しくてもどこかの駅で買い物ができるようにしてくれたらと思うのでした。 2000.10.7 まだ列車の中〜下甑島へ 目が覚めたのは9時頃。約10時間睡眠でゆっくり寝ることができました。串木野で降りて港へ向かい、甑島行きの船に乗ります。高速艇で1時間ほどで甑島の南の端下甑島の手打に着きます。 ここで地名の解説です。甑島の案内を見ても甑島の島々のことを甑諸島とか甑列島という表現をせず、単に「甑島」と呼んでいます。甑島というと甑島の島々のことを意味し、個々の島は上甑島、中甑島、中島、下甑島と固有の名前で呼びます。 すぐに村営バスに乗り換え瀬尾の集落まで行き観音三滝を見に行きました。結構水量があり、高低差もある滝です。この滝の滝壺で川砂を採っている人がいました。とんぼとスコップで砂を洗いながら土嚢の袋(名前が出てきません)に詰め込み道路まで歩いて運んでいました。こんな採り方だったら川砂も尽きないのでしょう。 バスで手打に戻り武家屋敷通り、歴史民族資料館、津口番所跡(復元)を見てまわりました。歴史民俗資料館は僕が10月に入って初めての来館者であまり観光客には人気がないようなのですが、民具を多く展示していておもしろい博物館です。宿に電話で申し込むのですが何軒かに断られた後港の近くの新栄館という宿に泊まりました。宿泊客は僕1人で翌日の予約の人用に用意していた食事を分けてもらい出してもらいました。 6時から食事をし、出てゆくとおばあさんが帰ってくるまで起きてるようなので部屋でテレビを見て寝ました。電波少年なるテレビを初めてみて学芸会的なおもしろさだなと思いました。学生の時(約12年前)研究室の同期でアイドル系に詳しい●岡君が「松本明子がアイドルからお笑い路線に変わりかけている」と言っていたのを思い出しました。彼は残念だったようなのですが今はしっかりお笑い路線の人のようです。なぜ松本明子のことをしっかり覚えているかというと僕の母の名前と一緒だからです。親の松本明子はほぼ毎日顔を見ていますが、芸能人の松本明子は初めて見ました。 2000.10.8 上甑島、中甑島、中島 宿のおばあさんが午後の高速艇よりフェリーで行った方がいいと言うので、理由はよくわからなかったのですが、7:40のフェリーで下甑島の手打から上甑島の中甑へ移動しました。 またまた地名の解説です。中甑という集落は上甑島にあります。そして中甑が上甑村の中心地です。中甑島には平良(たいら)という集落があります。島の人が中甑というと中甑集落を意味しているようです。 中甑(港)から遊覧船が出ているのでそれに乗ろうと観光協会に行くと「今日は時化で運行しません」とのこと船の観光はあきらめて、自転車で中島、中甑島に行きました。上甑島-中島-下甑島間は橋でつながっています。激しい雨が降り始め合羽を着て走ることになります。途中甑島の名前の由来である甑岩を見ながら、中甑島の平良の集落の先の道がなくなるところまで行きました。港を越えた先で道がなくなるパターンというのがありそうに思います。塩飽諸島の広島の漁港の先も同じ雰囲気でした。港の端に船を引き上げる船台があり、小さな作業小屋があります。海側は狭いごろた浜がありその先に崖が見えるのです。この崖があるので道がそこまでしかなく似た風景になるのだと思います。 同じ道を中甑(港)まで戻り、なまこ池、貝池などを見に行きます。僕のイメージでは池の縁に平坦な道が通っているはずだったのですが、現実の道はかなり高い位置を上がったり下りたしする道でした。池沿いに自転車で走ったのですが、雨が時折激しく降り、さらに登り下りをくりかえすという自転車には辛い道でした。午後2:25に串木野行きの高速艇があるのでこれに乗ろうと雨の中を約1時間ペダルを踏み港に着きました。そうすると何と高速艇が欠航になっているのです。次の串木野行きは翌日の高速艇と翌日のフェリーとのことです。今まで何度も島に遊びに行っていますが、初めて足止めなるものを体験しました。元々の予定が明日甑島を発つ予定だったのでよかったもののぎりぎりにこんな事が起きると後ろめたい思いをしながら会社を休むことになってしまいます。朝、フェリーで行った方がいいと言っていた新栄館のおばさんがは高速艇が欠航する可能性があることが見えていたのでしょう。 港で30分ほど呆然とした後、甑島館という村営のホテルへ遅い昼ご飯を食べに言ったのですが、昼は12時から1時までとのことで食べることができませんでした。悪いことに今日は村の運動会の日で一般の店はほとんど閉まっています。この島でも武家屋敷跡の道を見て、宿探しを始めました。宿はあっさりと石原荘に決まりました。武家屋敷以外の街並みも見て回ったのですが、どこも石垣と生け垣があり歴史を残している街並みが多く残っています。鹿児島の知覧の街並みに似ているようにも思います。夕食に食堂に行くとテーブルが20人ぐらいの団体の列と僕だけの列に分かれていて、20対1という多勢に無勢という状態でした。食事を終え部屋に戻ると隣室はカラオケ大会が始まっています。元気なおじいちゃんたちが楽しそうです。僕もその輪に呼ばれ入りに行ったのですが、20人の大団体ではなく、熊本と鹿児島の3つのグループが意気投合して1グループのように見えただけでした。南のおおらかさというか懐の深さを感じました。 2000.10.8 串木野、鹿児島、大阪 高速艇が昨日欠航したので早めのフェリーで帰ることにしました。昨日高速艇が欠航になったためか甲板に座り込んでいる人がいるぐらい多くの人が乗っていました。 フェリーで昨日の宴会の方々に別れを告げ、串木野駅に向かいます。12:37分発だと思っていた特急が12:28分発で乗り遅れ、各停に乗って西鹿児島に向かうことになります。 鹿児島は一昨日の桜島の噴火で道は真っ黒、空気も少しほこりっぽく、うっすらと硫黄のにおいがしていました。僕には桜島が噴火し一大事のように思えるのですが、鹿児島の人は通常のように行き交っていました。 鹿児島で食事をしようと「熊襲亭」という店に向かいました。学生の時何も知らずに入ったら料亭のような店で2000円で夕食を食べたいとお願いするとそんなメニューはないけどつくってあげようと食べさせてもらった店です。13年前学生だった僕が行くのは場違いながらさすがと思わせる対応と数々の珍しいものを食べさせてもらった店でした。今回行くと店は入りやすい居酒屋風の店になっていてさらに安いメニューもありその点ではすばらしいのです。ところが、僕はセットになっている料理を注文したのですが、出てくる料理が特に珍しいものを出してもらえるわけえでもなく、それぞれの料理も特にこの店でなくても出てきそうな料理になっていました。残念。 指定席が満席でとれないため自由席に並びどうにか席を確保し博多へ、途中で通路に2.5列ぐらい人が列をなしている非常に込んだ状態になりながらも無事博多に着きました。JR九州の自慢の列車らしいのですがもう少し快適に乗ることができる工夫もしていただきたいものです。 西鹿児島15:30発新大阪21:56着 約6時間半で大阪まで帰ることができます。