2000.5.3-7 沖縄へ I visited for Kume-island, Tonaki-island and Kudaka-island in Okinawa. Tonaki-island is small and silent. Okinawan unchanging and beautiful convention is remained in Tonaki. And fukugi-lined street is beautiful, and Sohnjaki (which stops evil entering) are interesting. 2000.5.3那覇へ、久米島へ 旧海軍司令部壕 那覇空港のすぐ東側、豊見城村の丘の上にあります。太平洋戦争時に3ヶ月ほどで掘った壕とのことでした。半年ほどで掘ることができたのはこの場所が砂岩でできているからだと思います。天井にあたると砂がぱらぱらと落ちてきます。司令官の大田氏が「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ラン事ヲ」と本土に連絡した内容が展示されています。極限的な状態になったときに大田氏のような考え方を自分もできるのか問われているように思いました。戦争の悲惨さを強く感じさせる負の大切な遺産だと思います。 久米島行きの飛行機がとれたので久米島に向かうことにします。飛行機に乗っている人の半分はダイビングをしにきた人のようでした。夕食まで少し時間があるので宿から歩いてゆけるところに向かいました。 久米島つむぎ工房  沖縄県具志川村大田501 098-985-2153 久米島つむぎを作っている工房を見学させてもらいました。各所に模様をきれいに出すための工夫があり、このような努力がいい反物をつくるみそなのだと思います。久米紬は島にある自然の染料で染めているとのことで、黄土色は福木、灰色はゆうな、薄緑はうーじ、などけっこういろいろな色が出せるようです。また、格子、かもめなどの模様が古くから使われている模様とのことです。 上江洲家 上江洲家は1754年に建てられた、地頭代の家で15年前まで実際に住んでいたとのことでした。台所や壁、天井などには大きな改造が加えられていない昔の姿を残している家です。柱はちゃぼくと呼ばれる耐久性の優れた木を使っています。基礎は貝を砕き丸太でつき固めたコンクリートのようなむのを使っています。これは家の周りにも使われ、見た目はコンクリートのようなのですが透水性があり、雨が降っても水はすぐに吸収される。家の周りの塀は石積みで作られ4カ所の角が高くなっています。悪いものは隅から入ってくるためその部分を高くすることにより悪霊などの進入を防いでいるということでした。このため屋根にシーサーは乗っていません。家の周りには福が来るようにと福木が植えられています。屋根は昔は藁葺きだったとのことですが、明治20年代に赤瓦に葺き変えた。今は母屋と台所がつながっているのですが作られた当時は防火の観点から個々に建っていたということです。 五枝松 見事な松でした。 宿泊は民宿久米島 098-985-2016 4000円(1泊3食) 2000.5.4渡名喜島へ 渡名喜島経由那覇行きの久米島フェリーで渡名喜島へ向かいました。久米島から乗り渡名喜島で降りた人は3人、さらに3人とも同じ民宿に泊まりました。 渡名喜島には食堂はないので民宿は1泊3食付きです。 渡名喜島の集落は南北の山にはさまれた部分にかたまってあります。道は砂がひいてあり、自動車が1台通ることができる位の幅で短冊形の住宅地を囲むように設計になっています。住宅地の短冊の形は東西が長い形で、短辺側の南北方向には一軒しか家がなく、家の南北が道路と接しています。また角の家を含め家の玄関は南北の方に向いています。道路沿いには低い塀があり、昔は珊瑚を切り出し、最近のものはコンクリートで作られています。その内側(家側)には福木が植わっていています。家の敷地は道路から1段低くなっていて、赤瓦の軒の深い家が建っているのが渡名喜流の家の建て方です。最近は一段低い敷地を埋め立て、コンクリート製の2階建てを建て、福木を植えないという家も増えてきているようですが、何か先人の知恵を残した家にしたらいいのにと思うのでした。住宅地の短冊形が東西に長い話に戻りますが、渡名喜島は南北は山があり周りに大きな島がないので東西は強い風が吹いているのではないかと思います。その風を逃がせるように東西に連なった家を建て、その間隔を狭くするように道路の間に1軒しか家を建てない都市計画をしたのではないかと思います。玄関が東西を向いていないのも風の理由かもしれません。 歴史資料館に行きましたが5月3日から6日まで休館とのため見ることはできませんでした。 その日宿に泊まっていたのは久米島で学校の先生をされている方と宿の1BOXを借りて島めぐりに向かいました。島西南部の呼子浜は大潮の日で干潮の時刻に近かったため、干出リーフの先の方にたくさんの人が立っているのが見えました。我々も車を降りて干出リーフの先端に向かいました。島の人が採った貝や魚を見させてもらったのですが、1.2m位の魚や直径20cm位の大きな貝も捕れるようです。 その後途中まで完成した林道をのぼってゆきました。林道の経路がわからないので何という海岸の名前はわかりませんがきれいな海岸を見下ろせる場所や、隣の入砂島を見渡せる場所がありました。また遠くには慶良間諸島や久米島、粟国島も見えました。 林道を引き返し集落を通過し東側の海岸線に向かいました。キャンプをしている東海岸海水浴場を過ぎ、アーサの養殖をしているあたりで道は終わりです。その直前に火成岩でできた高い崖がありました。黒い石(安山岩?)の割れ目にに白い石(石英?)が入り込み固まった層状の石も落ちていました。 その後東海岸海水浴場で少し泳ぎキャンプをしている人と話をして本日は終わり。 宿泊は民宿ムラナカ 098-989-2445 6000円(1泊3食) 2000.5.5渡名喜島滞在 歴史資料館が開いていないかと思い見に行きましたがやはり閉館中です。資料館の前で民宿に泊まっている人と話をし、午前中は東海岸で泳ごうと思い、遠浅の海岸を沖に向かい歩きましたが、約20分歩いても水深が20cmで泳ぐことができないのでそこであきらめて引き返してきました。キャンプをしていた人に聞くとその先まで(あと10分ぐらい歩いたところ)行くと急に深くなり魚影が濃いところがあるそうです。 昼ご飯を食べ昨日潮が満ちてきたので長くいることができなかった呼子浜のリーフの中で泳ぎました。ここもリーフの中は魚影が薄かったのですが、リーフの外側を泳ぐと魚影の濃いとのことでした。 上の台展望台に行き夕焼けを見て本日は終わり。 引き続き民宿ムラナカ泊 民宿ムラナカは3食付きで、魚汁やてびち、昆布の炒め物、皿一杯の刺身など沖縄を感じることができる料理がたくさん(種類も量も)でます。宿主の又吉さんのはなしもおもしろく渡名喜を知るにはおすすめできる宿だと思います。 2000.5.6那覇へ 朝から宿主又吉さんが持っていらっしゃる築100年以上の昔ながらの家を見させてもらいました。 民宿ムラナカで知りあった沖縄都ホテルの方に誘われ都ホテルに泊まることになりました。あまりの立派さにリュックを背負って入るのに若干のとまどいを感じるのでした。沖縄都ホテルは築20数年経っているということなのですが、きちんとメンテナンスされ、風格は感じるものの古さは感じさせないというホテルです。上本町の都ホテルよりロビーが広いせいか落ち着いているように感じました。 沖縄県立博物館をみたあと、松山御殿に行きました。しかし、松山御殿は閉鎖されレストランができていました。 壺屋焼物博物館に行きました。これまで何回か行ったのですが月曜日の閉館日に阻まれ見ることができなかった壺屋焼物博物館をはじめてみることができました。その後常明製陶所を見させていただき、毎度おじゃましている伊禮陶房に行きました。伊禮さんのところに壺屋焼物博物館の館長の渡名喜さんが来られるということなのでお酒の席を同席させていただきました。その後場所を小橋川源慶さんの陶房に移しさらにお酒をいただきました。名だたる方に次々にお会いできるというすばらしい日でした。 宿泊は沖縄都ホテル 098-887-1111 2000.5.6久高島 ホテルからタクシーに乗り久高島の船着き場安座真へ向かいました。定期船の船着き場が馬天から安座真に移ったので安座真に向かってほしいとタクシーの運転手に伝えるとプロなのだからわかっているというようなことを言って安座真に向かいました。安座真の港に着くとまた船の時刻もインターネットやホテルの人が調べてくれたものと違います。なんと言ってもフェリーが着く場所には見えません。どうも思っていた船着き場ではない場所に着いているようです。そして運転手はしきりに帰りの迎えの時間を聞き、往復を買わないといけないとしきりに言っています。帰りはいらないと言ってもひつこく切符売り場の人に往復だと言っています。また船の切符売り場の人は船は1時間ごとにあるいいながら帰りの船の時刻を確定しないと往復は売れないと言っています。これはそういう状況かというと、定期船の船着き場ではなく観光モーターボートの船着き場につれてこられたのです。なぜ観光モーターボートかというと観光モーターボートは非定期運行なので往復するためには帰りの時刻をはじめに決めないといけないのです。そうするとタクシーは客が帰ってくる時刻がわかり、帰りも同じ客を乗せることができるという仕組みになっているのです。このタクシーはあまり評判のよくない「三和交通」だったか「三和タクシー」というタクシー会社です。前にも見覚えのあるボディーカラーのタクシーでした。定期船の出発時刻まで5分ほどしかなかったのであきらめモーターボートで久高に向かいました。この日は少し波が高かったため、途中高速艇(定期便)に抜かれ、船が小さいため大きく揺れ、一緒に乗ったおばあはもどすしというあまり乗り心地のよいものではありませんでした。これで定期便の2倍の運賃なので決しておすすめできません。 久高島では自転車を借り島を巡りました。まずもっとも遠い北東端に行きました。北東端周辺は最近まで一般の人は入れないぐらい重要な聖地なのですが今は自動車も走ることができる道が整備され、そのような雰囲気はありません。 御嶽などには男子禁制と表示されてて入り口までした行くことができないところもありました。久高島は人口約200人の島に多くの御嶽や拝所があり信仰の島であることは間違いないのですが、今は観光の島の部分が増えてきているように感じます。 帰りは定期便で帰ろうと港に向かっていると2月に南大東島で知り合ったemikoさんと拓蔵くんに突然会いました。いくら沖縄が狭いと言っても知っている人に会うとは思っていなかったので本当にびっくりしました。彼らに送られて久高島を去ることになりました。帰りは定期便の高速艇なので波の影響も少なく、さらにモーターボートの半額で安座真まで移動できました。 タクシーに懲りたのでバスで浦添市の美術館へ行きました。大きく、さらに土建技術の派手な部分を集めた美術館の建物の一角の小さな部屋に常設展が設置されていました。所蔵物を常にみることができると言うことは旅行者にとってうれしいのですが、あまりの小ささに驚くのでした。隣の部屋で沖縄の写真展が開催され、多くの人が多いな声で話しているので館内非常に騒々しく、美術館と言うよりは公民館の一角に美術品が並べてあるような錯覚さえするのでした。 最後に、渡名喜島はこれという観光スポットがあるわけではないのですが、ゆっくりとした時間が流れているよい島です。 HTML http://homepage1.nifty.com/mama/act2000/20000503.html PDF  http://homepage1.nifty.com/mama/act2000/20000503.pdf TEXT http://homepage1.nifty.com/mama/act2000/20000503.txt 写真集  http://homepage.mac.com/masato_ma/20000503/20000503photo.html