2000.1.18-22 南大東島


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2000.2.18-21南大東島へ

気象通報で有名な南大東島へ行ってきました。

南大東島は1900年1月23日に玉置半右衛門により開拓された島で今年は開島100年にあたる記 念すべき年です。

南大東島へ行く手段は那覇から週1回の船か、1日2便で片道2万円強する飛行機だけです。太 平洋を150人乗りの船で渡るというのも魅力的ですが今回は飛行機で行くことにしました。

2000.2.18 沖縄へ

仕事を終えてから最終便で沖縄に向かいました。今回の大阪-那覇間は無料の航空券なので特に 素晴しいのです。

2000.2.19 南大東島へ

那覇から南大東島へは39人乗りのダッシュ8という飛行機です。操縦士、副操縦士、客室乗務 員各1名で乗っている乗客は10人程という状態から見ると2万円の運賃というのは高くないよう に思います。

飛行場に宿の車が停まつていたので島の中心地在所にあるその宿に泊まることにしました。さっ そく自転車を借りふるさと文化センターという大東島開拓の歴史を展示する資料館に行きました。

お昼は大東そばを食べにいさ商店に行きました。大東そばはいさ商店の伊佐さんが始められたも のということです。今も手打ちで作っていらっしゃいます。海水と本物の灰汁を使い手でこねて作っ ているとのことでした。伊佐さんにはその後もいろいろとお世話になりいろんな話を聞くことがで きました。

いさ商店で知り合った田中さんと気象通報のデータを観測している大東気象台を見させてもらい に行きました。水素の気球を使い高さ30kmまでの気温や風についてのデー夕をとっているところ を見させてもらいました。ジェット気流のこと、大気圏内は高いほど気温が下がるが成層圏では逆 に気温が上ってゆくことが目の前で測定されていて勉強になりました。(昔どこかで習ったのかもし れないですが)

星野洞という鍾乳洞さ見に行ってきました。規模は小さいのですが、洞内暗く必要なところ以外 照明が消されている上、僕一人で借切りだったため、ゆっくり見ることができる良い鍾乳洞です。

北港で砂糖の船乗みを見て、西港、塩屋海岸の海水プールを見てきました。


2000.1.18-22 南大東島


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在所に戻りペンを買いに浅沼文房具店という文房具+雑貨+裁縫用品屋に行きました。店にはカ ギがかかっていたのでですが人陰が見えたのであけてもらい無事ペンを買うことができました。浅 沼文具店のおばあさんから、道路拡張で小学校の門を後退させる時に、門を新調しようとしたこと に反対して昔から使われている門を残したこと、小学校の門には機銃の跡が残っていること、在所 から大東神社の横を通って大池にの北側まで続いている道は昭和初期に木を切り倒しその木を地面 に並べたあと土をかぶせて作ったことなどを聞きました。おばあさんは、サトウキビ鉄道のレール をほとんど外してしまい鉄道が走っていたことを伝える物がほとんどなくなってしまったことが残 念だという話や、在所から大池までの並木道は残さないといけないという話を聞きました。僕も昔 を伝えるものを簡単になくしてはいけないということに同感です。

島の中心在所にもどりタ食を食べた後、田中さんの知り合いの方々と飲みに行きました。いつも のように10時ぐらいにー度眠くなりその後復活するという状態でした。飲み会が終ったのは3時 (一部の人は5時)でした。これが大東の飲み方だそうで次回大東で飲む時は昼間から摂生に勤め万 全の体勢で臨みたいと思ぃます。


2000.1.18-22 南大東島


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2000.2.20 大東島に滞在

朝から製糖工場を見に行きました。

エ場で働いている人に聞くと昔よりずいぶん機械化されて人が減ったという事ですが、しろうと の僕の目にはまだまだ省力化できそうなところがたくさんあるように見えました。まだまだ競争力 を高められそうに見えるので、他の地域や国には負けてしまうというようなことはないように思え 将来に期待が持てます。

午前中は雨が降っていて足留めされていました。昼御飯にまた伊佐さんの店で無理を言って大東 寿司を作ってもらい大東そばと大東寿司を食べました。

午後は雨が止んだので、浅沼文具店のおばあさんに教えてもらった道を通って、大東神社と大池 のひるぎを見に行きました。通常のひるぎは気水域に生息するのですが大池のひるぎは島の中の淡 水湖に生息しています。島の中心部がまだ海水にさらされていた時に定着し、島が隆起しひるぎの 生えている部分が中央に取り残され淡水になったため淡水湖にひるぎが生息するようになったとの ことです。島の歴史を感じさせるひるぎなのです。

大東羊羹を買いに田仲商店に行きました。田仲商店のおばあさんから20何年か前大東で始めて 羊羹を作ったことや、今も薪をくべて豆を炊いていること、羊羹の味は豆の炊き方でそこが他の羊 羹と違うところだと話を聞きたくさん試食をさせてもらいました。今も薪で豆を炊き、大きなバッ ト皿で固めて包丁で切り、手で包装している手作りの羊羹です。


2000.1.18-22 南大東島


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夜に伊佐さんのお母さんの家に招いていただき、こんなうまい煮物は食べたことがないというよ うなうまい煮物をごちそうになりました。やはり本場の人がつくるものはおいしい。

2000.2.21 那覇経由大阪へ

那覇を経由して大阪に戻りました。途中那覇で4時間乗継ぎの時間があったので那覇市内に向か いました。陶器の街壼屋をうろうろし、いくつか陶器をもとめました。

大阪につくと寒いこと、沖縄に行く前は風邪ぎみだったのですがそれがぶり返しそうです。

大東島のすごいところ

南大東島に行ってみてこの島はすごいと思うことがあります。農業という産業がきちんと成り 立っているということです。那覇から約400kmと地理的には不利なはずなのに専業農家が多くあ り、後継者もいるという点が素晴しいのです。村も観光に力を入れるのではなく農業に力を入れて いるとのことです。地方の村や町で観光以外に力を入れている村や町は多くないはずです。観光だ と大手の会社にお金が落ちるはずですが、農業の方が地元の個人にお金が回るシステムだと思いま す。

また、田仲商店では学生が2人働いているということでした。突然来た学生を受け止めることが できる力があるのも島の経済が地についているからだと思います。田仲商店のおばあさんによると 何とかしてあげられるものだということでした。受けとめることができる経済力と受けとめること ができる心を持つ人を兼ね備えた島のように思えました。

こだわってつくられているものが多いように思います。伊佐さんの大東そば、仲田のおばあさん の大東羊羹、本で読んだだけですがケンチャンショップのとうふなど、たくさんのこだわりのもの があります。時間があり、人が少ないため機械化できないだけかもしれませんが、それぞれの人が 胸を張って生きていることがこのようなものを生み出しているように感じました。

南大東島に関する情報

あぎじゃびよぉ・南大東島通信  http://www.d5.dion.ne.jp/~adamo/

大東タイムス         http://www.interq.or.jp/japan/okuyama/

大東村・村役場のホームページ http://www.ii-okinawa.ne.jp/people/minamiya/

あぎじゃびよぉ・南大東島通信のリンクページから探すのが簡単かもしれません             http://www.d5.dion.ne.jp/~adamo/linkpage.htm