97.08.13-17 高原ドライブ
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97.08.13-17 高原ドライブ
97.08.13-17 高原ドライブ
会社のお盆休みが13〜17日だったので、車で涼しいところをドライブしようと考え、信州に向かうことにしました。
97.08.13
13は昼間に残った仕事を終え、13日の夜11:00p.m.信州に向けて出発しました。名神、中国道、長野道、上信越道とも混雑なく順調でした。
97.08.14
諏訪湖のS.A.(サービスエリア)に3時頃着き、S.A.のベンチの上に寝袋をひき寝ました。
7時過ぎには回りがうるさくなってきたので(家族連れが朝食を食べ始めた)起き、上信越道のすいているS.A.まで移動し、2時間ほど朝寝をし、軽井沢に向かいました。
軽井沢のIC(インターチェンジ)から軽井沢の駅まで、混んでいて車はのろのろとしか動きません。1時間ほどかけて、軽井沢の駅に着きました。ICから駅、駅の周辺だけでなく、軽井沢全体が車でいっぱいのようで少しいやけがさしてきました。気候はさすが軽井沢、曇っていたのもあり、ひんやりするぐらい涼しいのでした。
碓井峠が落石で通行止めと道路の掲示板には表示されていたのですが、人の少なそうなところということで車で碓井峠に向かいました。碓井峠は軽井沢から下りてゆくのですが、峠に入るとガスに包まれ、視界が悪くなり、寒いぐらいでした。通行止めのところにつき、その先を歩いて10分ほど下ったのですが、落石の気配はありませんでした。急であまり広くない峠道といっても、きっちり2車線り、車で走るとそんなにすごい峠という感じを持ちませんでした。横を走っているJRはまっすぐに登っていたのもあり、非常に急なところを登っているように見えました。
軽井沢駅まで戻り、JRで碓井峠を下りました。うわさに聞く峠の釜飯を軽井沢駅で買い(買ってから気づいたのですが、峠の釜飯は峠の下の横川駅の駅弁だそうで、軽井沢で買った釜飯にも「横川駅峠の釜飯」と書いてありました)、特急の電車に乗り込みました。電車はほとんどトンネルの中を走っているので景色が見えず、あまり面白くありませんでした。自由席は満員で、通路に立つことになりました。車内放送で碓井峠は急勾配なので、200mの電車の先頭と最後尾では標高が12m違うと聞き結構急な坂だなと思ったのと、同じ車両の通路の両端の人同士だと足の裏と腰の高さぐらい違うというのが目で見て理解できず、不思議でした。
横川駅を通過し、高崎まで行き、もう一度軽井沢まで戻りました。戻った軽井沢の駅前は車が動かない状態になっていました。当然、僕の車もなかなか動きません。わざわざこんなに混んでいるところに長居をすることはないと思い、蕎麦を求めて上田に向かいました。しかし、渋滞を抜けて上田に着いたのは9時で、蕎麦やどころか飲み屋以外の店はほとんど閉まっていました。
Thai料理の店があったので、夕食はグリーンカレーになりました。Thai人の方が料理しているようで、Thailandで食べた味に近いThai料理でした。
・クムルアン 上田店 上田駅前の道をまっすぐに北東に向かう
信州に行ってもおいしいThai料理が食べられるのはうれしいのですが、なぜ上田に(日本人向けに味付けをしていない)Thai料理の店があるのか考えると、単純に喜べないように思いました。春に山陰に行ったときには「フィリピンダンサーがいる店」という看板の店が何軒かあり、今回はそういう店は目につかなかったものの、本場のThai料理の店があり、東南アジアの人がたくさん飲み屋で働いているのを実感します。大阪にいてもそんなに感じないのですが、地方にゆくと強く実感します。日本は外国人の労働力として東南アジアの女性ばかり(東南アジアの男性も、その他の地域の人もいるとは思いますが)受け入れていていいのかな、と考えさせられます。
せっかくのだからもう少し北に行こうと思い、上田から菅平、長野原、吾妻を経由して新潟に向かい、途中のS.A.でまたしてもベンチの上寝袋泊となりました。
97.08.15
またもやまわりが騒がしくなり目が覚めましたが、今回は騒ぎにめげず再度寝入りました。
軽井沢が込んでいたので北に向かったのは、北=北極に近い=涼しい的な気持ちが少しあったからなのですが、すぐに気づくことなのですが、少々北に向かっても平地は暑いのです。今回は暑さで目が覚めてしまいました。
新潟市内は何回か行ったことがある上、特にこれといったものがなかったように感じたので、古い電車に乗ろうと新潟交通の月潟駅まで車で行き、電車で市内に向かいました。思い通り、木造の電車が走っていたのですが、乗ってしばらくすると寝てしまい、あまり風景を覚えていません。新潟市内をぶらぶらし、同じ電車で車を駐車した月潟駅まで戻りました。家の裏の狭いところを転けそうなぐらいスピードを出して走る電車でした。
新潟にいても暑いだけなので、信濃川沿いに長野まで行き、蕎麦を食べて、涼しい松本に泊まろうと考え、出発しました。涼しさと景色を楽しみながら走ろうと思いずっと一般道を走りました。渋滞はほとんどなく快適なドライブです。
小千谷の少し傾斜のある稲作地帯の真ん中の道を走っているときは、両側に大きな段々の田圃が拡がり、手を拡げて走って行きたいような広さを感じるところでした。十日町町付近は国道の対岸を走る県道から見る千曲川(信濃川)がきれいでした。
途中野沢温泉の看板が目に付き、温泉に入って、蕎麦屋が待つ長野に向かいました。長野に向かって国道を走っていると、いつのまにか有料道路に入り料金を取られるというひどいところがありました。どこかに看板はあったのでしょうが、インチキ臭いやり方にムッとしました。オリンピック用の道路のようなのですが、オリンピックの時に観光客から道路整備費用をうまくとりあげる道路のようでした。1km弱のトンネルを含む3kmぐらいのバイパスで300円はそのようにしか理解できない料金設定です。
上田では食べられなかった蕎麦を、駅前の蕎麦屋で食べ、松本に向かいました。長野の蕎麦屋としておいしい店かどうかはわかりませんが、僕には十分おいしい店でした。
松本の駅まで一般道で1時間と少し、駅前から旅館ホテルビジネスホテルに電話をかけても、どこもいっぱいでした。何軒かは直接行ったのですが、夏の時期は全く空いていないとのことでした。駅前にも多くの人が寝袋野中で眠りはじめていました。僕も寝袋泊となりました。
せっかく松本まで来たのだから上高地に行けたらと思い、上高地の入口にテントを張りそこから、上高地を歩いて行こうと思い、上高地に向かいました。ところが、上高の入り口付近の駐車場はほぼ満車。駐車場にテントをはると怒られそうだったので、今回はあきらめて安房峠を越えて平湯の駐車場にテントを張り寝ました(2:00a.m.)。
97.8.16
8時ぐらいに暑くて起き、平湯駐車場の横に朝市(常設の)が出ていたので、見に行きました。これはというものはなかったのですが、朴葉餅を焼いていたので、朝御飯の代わりに朴葉餅を食べながら朝市を出している人と話をしました。1人はおじさんで、お土産屋さん的なものが本業のひとのようでした。1人は僕より少し若い女の人で、名古屋で働いていこともあったそうなのですが地元に戻ってきて結婚して、農家をしているとのことでした。旦那さん(変な言い方!?)もサラリーマンを止めて農家をはじめたそうです。「田舎が静かでいい」と言っていたのが心に残りました。本業はきのこの栽培をしているそうで、今年(97年)の秋からは朝市でもきのこを売ると言っていました。静かな田舎に住んで、仕事があれば、最高の人生だろうとうらやましく思います。
五平餅を食べる目的だけで高山市内に入り車を止めて、五平餅を食べに言ったのですが、以前より整備されたことと、おみやげ屋が増えたように思いました。僕が食べた店では五平餅を頼んでもお漬け物が置いていないので、富山の手谷君から教わった五平餅に漬け物を乗せて食べる正しい食べ方はできなくなっていました。焼いているおば(あ)さんに言ったら、試食用の漬け物を乗せてもいいとのことなので、一応思い通りの五平餅を食べることができました。(これじゃ高速道路の五平餅と同じじゃないか)
昔からずっと行きたかった白川郷に向かいました。白川郷に向かう看板には「世界文化遺産(でしたっけ)白川郷」という大きな看板が立っていて、そういえば新聞で読んだなと思いながら白川郷に向かいました。
白川郷に着いて驚いたのは、
1.国道が車で渋滞している。
2.駐車場のガードマンがやたらと笛を吹くのでうるさい。
3.人いっぱい歩いている。
4.やたらとおみやげ屋がある。
5.それもほとんどが合掌造りの家を改造して作ったおみやげ屋。
と、自分がイメージしていた白川郷とはかけ離れた現実だったのでした。
車を駐車場に止め、合掌造りの建物(家とお土産やが半々)の間には小さな田圃がたくさんあるのですが、田圃の畦道はきれいにカラーコンクリートで舗装された歩道になっているのでした。
それでも、ずっと来たかったところだと思い、内部を見ることができる合掌造りのお寺の中に入りました。さすがに中は涼しく、板敷きの床にごろっと横になったら気持ちよさそうでした。窓際に座って人の動きを見ていると、多くの人はばたばたと上がってきて、一回りしあわただしく出て行きます。この涼しさを感じないと....
お寺を出て歩いていると、陶器を売っている店があったのでそこに立ち寄りました。店先で陶器を売っていたのはポルトガル人の陶芸家の方で、白川郷の隣の五箇山で陶器を焼いている方でした。その方と話をしました。
世界文化遺産になる前後で村の人が大きくかわったとのことです。昔の白川郷の写真集を見せてもらったのですが、笑顔は思いっきり笑っているし、お酒は思いっきり飲んでいるしで、いい田舎だったそうです。どぶろく祭りの話を聞いても、昔は観客は誰もいず、みんな(子供も、犬も)酔っていたということなのですが、今では観光用のお祭りになってしっまているそうです。生活さえできればあとはぱっといこう、という日本の田舎的なところがあったようです。今は、何人かの人が一所懸命お土産屋をしてお金にとりつかれたようで、それ自体は悪いことではないのだと思います。白川郷の気風とは相いれないようで、白川郷でそうでないほうがいいなと、部外者の僕は思いました。陶芸家の方も今の雰囲気は白川郷じゃないということでした。僕がもっと速くきていればと思うと残念だと言っていると、冬は観光バスもお土産屋もないし、足下は雪に隠れて見えないから思い通りの白川郷があると教えてもらいました。次はチェーンを巻いて冬に行こう。
山の上から集落を一望し帰路につきました。帰りは九頭竜川沿い、福井、湖西、京都を通って西宮に帰りました。
新潟→小千谷→十日町→野沢→長野→松本→平湯→高山→白川郷→九頭竜→福井→京都→西宮という中部縦断山中国道県道走行は終わりです。やっぱりドライブは山の中の道が楽しいですね。
