97.5.24-5.25 北山村田植え


行動記録リストに戻る     E-mailは BXB00613@nifty.ne.jpまで

97.5.24-5.25 北山村田植え
 
 大学の同期廣田君の家族、友達と三重県紀和町の千枚田の田植えに参加しました。廣田君は千枚田の年間契約オーナーで去年から千枚田を年間契約で借りているので、その田植えの手伝いに行ってきました。
 紀和町の千枚田で田植えをしたのにタイトルを北山村田植えとしたのは、廣田君たちが和歌山県の飛び地(日本でも飛び地はここだけ)北山村に入れ込み何度も北山村に来ているうちに隣町の千枚田にも行くようになったようなので、タイトルは「北山村田植え」なのです。
 24日朝から出発し、25日昼過ぎには北山村付近には到着しました。計画では、ここでみんなと分かれて北山川の瀞峡から下の流れが穏やかなところをカヤックで下ろうと思っていたのです。しかし、天気予報は雨、実際に昼御飯を食べたころには雨が降り始めたのでカヤック川下りはあきらめ、廣田らと一緒に”観光”をすることにしました。
 はじめは、本宮町にある本宮大社です。杉が鬱蒼と茂った参道の階段がきれいなのと、社殿のひわだ葺き(?桧か何か樹木のかわで葺いた)の屋根がいい神社です。
 次に紀和町の鉱山資料館に行きました。紀和町は第2次世界大戦前後には世界有数の銅鉱山を持つ町として栄えたとのことですが、今ではその面影はほとんどなくなっています。山の斜面に選鉱所があり、金属を勉強した時に教科書で見ただけの選鉱設備の跡があり、うちわで感動していました。
 次に田植え前の紀和町の千枚田の様子を少し見て、北山村の民宿に行きました。
 北山村は
 ・日本唯一の飛び地
 ・筏下りができる
 ・じゃばらという柚のような果物がとれる
 ・という特徴がある村なのですが、僕には「飛び地」と言う部分が一番魅力的な村です。
 ここからはFM(FMココロ)で聞いた話です。明治時代(だったと思う)に県の境を決めるとき、新宮川の西側を和歌山県、新宮川の東側で北山川の北側を奈良県、南側を三重県と考えたそうです。その時、今の北山村の住民は、川を中心に生活し、物、人の流れも川に依存するので県境を川にするのではなく尾根にし、さらに川の下流にある新宮と関係が強いので新宮と同じ和歌山県に入れるように直訴し、それが認められ、飛び地となったとのことです。その時代に、役人が簡単に川で線引きをするのではなく、民主的な力で物事を決めていたというところが好きなのです。
 北山村の温泉に入り、夕食を食べ、廣田の子供を寝かせ、宴会をし、僕は布団に入って3秒で寝ました。あとのことはしりません。
 25日は晴れ、24日もこんな天気だったら川下りができたのにとおもいつつも、晴れは歓迎です。早速千万田に向かいました。
 この田植えは、紀和町の千枚田田植え祭り(覚えていない)に参加して、オーナーの廣田君が町の人が用意してくれた苗を整備された田圃に植え、僕は一緒に植えて手伝うという、地元の人に用意してもらった田植えのお祭りです。役割分担は、僕と廣田と廣田の友達2人が田植え、廣田の奥さんが子供係。田植えの方は30坪を4人で1時間位かけて植えました。田植えで難しいのは、苗をうまく分離することのように思います。苗は根が絡まった状態なので、うまく外さないと根がブチブチ切れてしまい、茎だけの苗や、根が巨大な苗ができ、うまく育つようには思えません。あとは、腰が痛いのをどれだけ我慢して速く植えることができるかが大切です。(地元のおじさんは苗の差し方や植える深さも大切だと言っていましたがそんなところまで手も気もまわりません) 
 我々が植えている間に、役人の挨拶があり、農林水産大臣(名前覚えていない)や、農林水産庁の偉いさんが来て「お手植えも」披露されたとのことです。役人の観察係も兼ねていた廣田の奥さんの話によると、車できて(一般人は駐車場から歩く)パッパッと植えてさっと帰るという予想通りの行動だったそうです。
 田植えも終わり、係りのおじさんにめはり寿司、ちらし寿司、茶粥、そば、煮染め、漬け物、梅干し、ビール、お茶、日本酒、ジュースをもらい昼御飯になりました。茶粥、梅干し、めはり寿司.....どれもがおいしい!  帰りは北山村の温泉にもう一度入り、吊り橋を渡り、帰宅しました。
 自宅着10時頃、睡眠5秒後。
 おしまい