97.5.17 由良川川下り
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97.5.17 由良川川下り
先週の日高川に味をしめ今度は由良川に行って来ました。
以前に由良川に行った人の話では水が少なく、歩いてばかりでたいへんということでしたが、その日の由良川は一見して水量も十分にあり、楽勝だなと思いながら和知の鉄橋下の岸に向かいました。
鉄橋のすぐ上はなだらかな瀬になっていて、多くの人が瀬遊びをしていました。500mほど下に堰堤があり、そこまでは流れがなくゆっくり下ることができました。堰堤の左岸を歩いて越えその下の瀬の手前から再乗艇しました。水量が多く大きな波が立ち流れに圧倒されながら瀬を下りました。次の瀬の前に息を整えてと思って岸に寄せようとしたら沈(転覆)していまい、流れの中の島に上陸しました。そこのまわりは流れが速く、さらに下流には橋脚の間隔が狭い沈下橋があるので、危ないなと思い、流れを見て恐いなと思えたのでその日はそこで川下りを終わろうと決意しました。
しかし、流れの中の島にいるので、岸に向かわないと終わることができません。もう一度カヤックに乗り、隣の島にわたり、さらにその島の反対側からさらにカヤックに乗り岸に着きました。そこから堤防の上の道路までは15m位登る必要がありカヤックを担ぎ草むらの中を登って行きました。
ここまで出発してから1時間半、そのうち漕いでいたのは30分位なので、島からの脱出と道路までの登山(?)が1時間というサバイバルツアーでした。
その後町営のバスで出発地まで戻り、堰堤までの流れがほとんどない水たまりで30分ほど漕ぎ本日のカヤック終了となりました。
瀬で遊んでいた人々も岸に上がっていらっしゃったのでその中の何人かの方と話をしました。そのグループは身障者の方を含んだカヤックの愛好(?)家のの方々で、瀬遊びをメインに遊んでいるようでした。ポリの艇で瀬で遊ぶとおもしろいよと魅力的な言葉をかけてくださる方もいっらっしゃり、一緒に遊べたらおもしろいだろうなと心引かれました。初めに話した方々はそのグループの中で独自にクラブをつくり気軽にカヤックを楽しんでいるんだと言われ、グループの中にグループを作らなくても....と思ったのでした。(後でこの違いがわかりました)
その後、身障者カヌー協会の方が来られ、「あなた(僕のことです)はヘルメットやスプレースカート(カヤックの口と乗る人の腰の間から水が入らないようにする道具)をつけずに下るのですか」と聞かれ、「瀬では着けますが、平水では着けないですね」と答えると「どこで沈(転覆)するかわからないから着けるべきではないのか」と説教に変わり、僕には何を言いたいのかわかりませんでした。確かにどこででもヘルメットとスプレースカートを着けていた方が安全だと思います。しかし、カヤックの自由さや楽しさはなくなってしまいます。安全にばかり偏ると遊びとしてのカヤックはなくなってしまうように思います。
家に帰って、野田知佑さんが「カヌー協会(だったと思う)の人が、カヤックやカヌーに乗る時はいつもヘルメットをかぶるべきだ」と言うのに対して、状況判断できない奴はそうしたらいいだったか、そんなに心配なら家で寝てればいいと言ったかのを思いだしまし、「そうそう」と納得していたのでした。野田さんの言っていたことを思い出すと、僕が会った「身障者カヌー協会」の方が駅まで自転車で通勤する時のスーツにMTBのバイクでダウンヒルをするときのようなプロテクターとヘルメットの姿を目の前に浮かびおかしくなってしましました。「どこで何がおこるかわからないので最も安全な装備で事にあたる」すごく立派な内容のように思えますが、それによって失われるものが多すぎるように思いますし、大切なことが何かわからなくなると思います。
ルールで縛られるのが好きな人、ルールを決める立場の人々にとっては当然のことだと考えているのでしょうが、少し現実からずれているように思います。人々には失敗して恐い目に遭う自由や、危険な目に遭いけがをする自由もあるはずなのです。過剰なルールはルールを守らないといけない人から見るとばかばかしく思えるものです。また、僕も自分で判断できない人はルールに従った方がいいと思います。しかし、世の中自分で判断できる人、ルールを作る人より優れた判断力を持つ人はたくさんいます。その人々にまでルールかぶせることもルールの信頼性(権威)を低下させると思います。
僕が神戸製鋼の製鉄所に勤めていたときのルールに以下のようなルールがあります(おそらく今もあります)。(大きなメーカではよくあるルールだと思いますので神戸製鋼が特殊なのではないと思います)
1.横断歩道を渡るときには一旦止まり左右を指差呼称して渡る
2.工場外の歩道を歩くときもヘルメットをかぶる
1.の方は製鉄所の外ではほとんどの人は一旦止まり左右を確認し事故なく横断歩道を渡っているので(止まらない人はひかれることがありますが)「指差呼称」まで強制するのはどうかと思います。上司に確認にもランクがあり、横断歩道の横断歩道を渡る位のことで指差呼称すると指差呼称に対する意識が低下するのではないか(実際に手だけが動いている人が多いように見えました)と聞くと、「ルールを守ることが一番大切なんだからそれに従え」との回答でした。その上司も理解していないか、やむなく従っているのでしょう。
2.の方も僕は理解できなかったので、上司(別の人です)に聞くと「何が落ちてくるかわからないからヘルメットは被っておかないといけない」とのことでした。その時にも、その人がスーツにヘルメット姿で何が落ちてくるかわからない駅までの道を歩いて通勤している姿が目に浮かび、さぞかし大変だなと思ったのでした。
もう少し、何が大切かを考えないと、ルールだらけになってしまい、さらにそのルールを作る人と維持する人の経費で倒産してしまいそうな(大袈裟かな)きがします。遊びの方もルールを作る人とそれを維持する人のために何とか協会の会費を払わないと遊べないと言う状態になり、無駄な出費が生まれるように思います。そして安全になるのかというと、川に、川交番みたいなものができ、ヘルメットの取り締まりをしても安全になるとは思いません。
またもや文句の多いレポートになりました。